小屋を守る人たちの苦労と楽しみを知る~山の図書館 [山の図書館・映画館]
小屋を守る人たちの苦労と楽しみを知る~山の図書館
「黒部源流 山小屋暮らし」(やまと けいこ著)
室堂から五色原、スゴ乗越をへて薬師岳を越え、薬師沢に入ったことがある。沢沿いに山小屋があり、投宿した。沢音が聞こえるテラスに出ると、テレビで見た顔があった。当時、NHKで登山講座をやっていた岩﨑元郎さんだった。話しかけると、ビニール袋に入れたチーズをナイフで切り分け、いただいた。翌朝出発したところを見ると、十人余りの若い人たちを連れた山行だったようだ。
薬師沢小屋には、こんな思い出がある。この小屋にトータル12シーズン暮らしているやまとけいこさんが楽しさ、苦労話をつづった。イラストレーターでもあるやまとさんの、ほのぼのとしたイラストが添えられている。
「黒部源流のこと」に始まり、小屋開け、ハイシーズン、小屋閉めと1年間のトピックが詰まっている。黒部源流の歴史では、高天原山荘がもともと鉱山労働者の宿舎であったこと、スゴ乗越の「スゴ」は「数合(すごう)」、つまり猟師たちが獲物の数を確かめる場所から来ていること、などが紹介され、ふんふんと読み進む。
6月になると小屋開けである。まず心配なのは、豪雪に耐えて小屋がちゃんと立っているか。立っていても小屋は雪に押され、少しずつ傾いている。そして、冬季の動物被害。ネズミやテン、クマなどである。クマは食糧だけでなく酒類まで手を出す。酔っぱらって暴れた形跡もあるという。しかし、クマに説教もできない。所詮はどう共存していくかを考えるしかない、と著者は言う。
普通は稜線や高台にある山小屋が、ここでは沢沿いに立つ。そのことでの苦労話もある。まず、電波が届かない(これはいいことでもあるようだが)。そして最大の問題は、突然の雨で増水することだ。登山道整備に出て雨に遭い、間一髪、河原から高台へと逃げた同僚の話もつづられている。稜線の小屋ならありそうな水不足の悩みがないかわり、こんな苦労もあるのだ。
7月末から小屋は多忙を極める。布団1枚に2人ということになるが、最大の難問は夕食である。人数の増減を読みながら対応する(このあたりはどこの山小屋も同じだろうが)。
9月後半になると小屋閉め作業が始まる。アルバイトが下山した10月には、沢の紅葉が見事な輝きを見せるという。体育の日の連休が終われば、営業が終わる。こうして小屋の一年が幕を閉じる。あらためて小屋を守る人たちの苦労を知るのにいい。著者が趣味とするイワナ釣りの話も楽しい。
山と渓谷社、1300円。
中国山地幻視行~青空に映える三つのピーク・三倉岳 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~青空に映える三つのピーク・三倉岳
史上最遅の梅雨入り宣言がようやく秒読みとなった6月25日、三倉岳に向かった。入梅すれば1週間かそこらは雨模様の天気となり、山行が難しくなるためだ。
登山口には、例の看板が立っていた。縦走路の一部は依然通行止めのようである。昨年6月末から7月初めにかけての豪雨被害である。1年近くも復旧しないとは、よほど深刻な事態のようだ。しかし、それ以上は考えても詮無いことなので、三つあるピークのうち最高地点である夕陽岳直登ルートを選択した。
道そのものはかなり整備されて心配ないのだが、なにせこのルートは傾斜がきつい。はじめから終わりまで、ほぼ階段状といっていい。それにこの暑さだ。多少の風がありがたい。
1時間半ほどで登り切ると、このうえない青空が待っていた。東方に目を向けると、ぽかりぽかりとのどかな雲が散在する。まるで羊のようだ。気温計をみると30度を少し下回るぐらい。下界では間違いなく30度を超しているだろう。
下山して振り返ると、午後の日差しを浴びた三つのピークと雲一つない青空が鮮やかなコントラストを描いていた。魅力的な岩壁があり、山野井泰史も広島を訪れた際には立ち寄ると聞いたことがあるこの山を、ひそかに「広島の瑞牆山」と呼んでいる。もっとも、高さは702㍍しかなく、2000㍍を超す瑞牆山の3分の1ほどだが、地元の人たちが呼んでいる「広島のマチュピチュ」よりは気がきいていると思うんだけどな。
中国山地幻視行~比婆連山・雨の深山を行く [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~比婆連山・雨の深山を行く
6月12日、駐車場に車を入れるころ、ぽつり、ぽつりと降りだした。予報は午前中曇り、昼から晴れと出ていた。したがって出発予定を変える気はなかった。ほかにも何台かの車があり、グループが身支度を整えていた。
出雲峠に差し掛かるころ、完全に視界はなくなっていた。どうやら、本格的に雨のようだ。他のグループはどこに行ったのか、見当たらなかった。烏帽子山(1225㍍)まで行くと、数人のグループが早めの昼食に入っていた。声をかけてそのまま行きすぎ、比婆山(1264㍍)へと向かった。といっても山は霧の向こうだった。男性一人が速足で駆け抜け、まもなく引き返してきた。比婆御陵までの往復だったようだ。
池の段(1279㍍)までたどりつき、遅い昼飯にありついた。そうしているうち、男性が一人。どこから? と聞くと六ノ原から出雲峠を越えて、という。帰途は立烏帽子(1299㍍)をこえて駐車場まで戻るという。同じコースだ。こんな雨の日、丸1日かかる縦走を試みる酔狂な輩は、そうそういないようだ。
昼飯を食っているひと時、向かいの比婆山と吾妻山をつなぐ大膳原に陽が差し始めた。かすかな期待を持たせたが、やがて元の雨空に変わった。
ひょっとしてまだ咲いているか、と思ったササユリは影も形もなかった。そりゃそうだ。あまりに遅すぎた。その代わり、ベニウツギが満開だった。目を落とすと、ギンリョウソウやアカモノがひっそりたたずみ、深山の趣を醸し出していた。