中国山地幻視行~吉和冠・黄砂のベール [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~吉和冠・黄砂のベール
4月18日、吉和冠
山頂で遅めの昼食をとっていると女性の二人組が登ってきた。随分元気そうで、そのあたりを歩き回り、記念写真を撮るとさっさと下りて行った。
以前登ったのは2021年12月半ば。2年と4か月ぶりの山になる。随分きつく感じた。かつては雪山に挑戦したこともあるが、若い女性の二人と比べるまでもなく、老いを実感せざるを得なかった。
この山に登るたび思うのは「ハナのなさ」である。「ハナ」は植物の「花」より「華」が近い。途中で展望はなく、変わった地形にも出会わない。それでも登ってきたのは、森の深さと巨木のたたずまいにひかれてであった。
この日は朝から「黄砂、黄砂」とテレビの予報が叫んでいた。悪い予感がしたが、山頂近く見晴らしのきく崖上に立つと、いやというほど実感させられた。いつも見える十方山、恐羅漢山は黄砂のベールの向こう。その奥にあるはずの深入山の展望など望むべくもなかった。左手の島根県側から冷たい北風が吹きつける。早々に退散した。
中国山地幻視行~恐羅漢山・冬と春の間 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~恐羅漢山・冬と春の間
4月1日、恐羅漢山。
駐車場に車を止めると、冷たい風が吹き降りてきた。スキー場のゲレンデ上部に目をやると予想外の残雪。しかし、もう4月。予報は快晴。カンジキは持たず、斜面を登り始めた。
ゲレンデ横の急登も所々で雪に阻まれ、時間を要した。林間を抜け、山頂直下の緩い斜面に入ると、残雪は一面を覆っていた。春の腐った雪。油断すると空洞を踏み抜き、膝上まで埋まる。慎重に足を運んだ。
広島・島根県境、標高1346㍍の山頂は日当たりがよく雪はなかった。大きな岩の上から四方を見渡すと、白くかすんでいる。もやっているのか、それとも黄砂か。木々は新緑には早く、枯れ枝が冬の荒涼を漂わせていた。
昼飯をすますと、下山路の思案。いつもなら夏焼峠を回って帰るが、この日は登りで意外に時間を要した。峠回りも、雪があるのかないのか判断がつきかねた。そんなわけで、登った道を下った。人工降雪機がそのまま残っているのも「祭りの後」を思わせて寂しげだった。
中国山地幻視行~深入山・春ですよ [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~深入山・春ですよ
3月18日、深入山。
予報は晴れだったが、北風が強い。気温15度、体感はそれよりかなり低い。タカをくくってごつい防寒着は自宅に置いてきた。登りにとりついたころ、後悔したが遅かった。
息を切らして登るうち、汗ばんできた。止まると汗が冷えるのでそのまま歩くしかなかった。そんなことで、ほぼノンストップで頂上に着いた。具合のいいことに風がやんだ。青い空が高かった。
圧雪のためなぎ倒された草原が再び頭をもたげ、山肌は遠目に猫の丸い背中のように見えた。春近しの光景だ。それにしても、いい天気だ。こんな日に、登山者が誰もいないとはなんという不思議。そういえば、登山口の休憩所も出入り口にベニヤが打ち付けられ、冬の装いのままだった。みなさぁん春ですよ、と叫びたい気分だった。
中国山地幻視行~大峰山・春まだ浅き [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~大峰山・春まだ浅き
2月27日、大峰山。
登山口に車を止め、杉林を抜けて最初の休憩地に着いた。ちらほらと舞う雪を受けて、二つのベンチは長方形に白くかたどられていた。座ってしまうのも惜しく、写真を撮ってザックを置いた。男性が一人おりてきた。「山頂は雪ですか」と声をかけた。「雪です」「でも、午後には解けるかも」とのこと。
座っていると北からの風が、氷の中を抜けてきたかのように冷たい。まだ日差しはなく、見上げた空はどんよりとしていた。たまらず歩き始めた。中間点あたりで、待望の日差しがさし始めた。薄雪をかぶった杉林に陽が当たり、絵画のように美しかった。
山頂から北を眺める。吉和冠は雪をかぶっているようだ。西へ目を転じる。山口県内に端正な三角形の山。莇が岳(1004㍍)であろう。この大峰山が1050㍍だから、ほぼ同じ標高の頂を持つ。南にのうが高原。山頂付近に道路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。メガソーラーだ。かつてはレジャーホテルがあったが(昔泊まった記憶がある)、今は廃墟になっているらしい。
山頂は陽光が降り注いだ。冷たい北風が春まだ浅き、を思わせた。
右のこぶ状ピークが頂上
中国山地幻視行~三倉岳・様変わりしていた [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~三倉岳・様変わりしていた
三倉岳に登った。いつものAではなくBコースを選択した。青空が広がった2月12日。前回10月の登山で、縦走路のロープが外されていたからである。危険個所として認識されていたのは、中岳から夕日岳に至るキレットと頂上手前の壁。歩いてみて分かったが、そこが大幅に補修してあった。事故の確率は減ったと思われる半面、フィールドアスレチックの趣となり、山に登る醍醐味は少なくなったともいえる。
しかし、これだけの補修には相当の努力が必要で、かかわった人々の事故を防ぐ・安全第一の気持ちも、当然理解できる。悪態よりまずは感謝をすべきだろう。
ふもとの駐車場に車を置き、A、Bコースの分岐点へ。細かい注意書きが目に付く。体力に応じて引き返すなどしてくださいとある。ここでBコースを選択。あとは急な石段登りが続く。いつもなら、ところどころの壁でクライミングに興じる姿が見られるが、なぜかこの日はだれもいなかった。
1時間余りして朝日岳と中岳の分岐。尾根の向こうから吹き渡る風が冷たい。小さな壁が現れる。以前から鎖と「コ」の字型の金具は取り付けてあったが、これが大幅に増えていた。さらに上部に行くと、今までなかった箇所にも鎖が取り付けてあった。
中岳を過ぎ、この山の最大の難所、夕日岳直下の壁。ここも鎖と金具が大幅に増強されていた。これまで、溝(ルンゼ)状の箇所にはシンプルに長い鎖一本が取り付けてあったが、短い鎖が何本も続く仕組みに。新しい「コ」の字金具も目に付いた。鎖を持つ手が滑ると、結構下までずり落ちるという恐怖感があったが(積雪期など特に)、今はとりあえずつかむところがある、という感じだ(その分、面白みはないが)。
夕陽岳の頂から周囲を眺める。靄っていたが、山々の表情は変わらなかった(当たり前か)。
中国山地幻視行~窓が山・いつもと違う道 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~窓が山・いつもと違う道
頂上までもうすぐだ。そう思い登山路をたどった。頭上から声がする。だれか降りてくるらしい。つづら折りの道に立っていたのは、かつて職場で一緒だったUさんだった。
窓が山は、いつもなら広島市佐伯区五日市の魚切(南側)から登るが、この日に限って安佐南区沼田の憩いの森(北側)を出発点とした。かつての山仲間が通い、登山道を整備してきたと聞いたからだった。確かに、丸太が整然と埋め込まれた道は階段状になり、歩きやすかった。倒木も見当たらない。活動の成果が出ていた。
実は、この情報を寄せてくれたのがUさんだった。この日は活動を共にするもう一人の男性と一緒だった。10分ほども立ち話をしただろうか。二人は下山、私は頂上を目指した。
窓が山の東峰。誰もいなかった。遥かに広島湾。前日より急激に上がった気温のためか、靄がかかっていた。広場には、ほうきの掃き目が清々しかった。この山はキレットを挟み頂上が二つある。若干高い西峰(711㍍)が頂上とされている。先ほどの二人が掃き清めたと思われる広場を見て、通り過ぎてしまう気にもなれず、ここを頂上として昼飯とすることにした。従ってこの日の窓が山は東峰の往復となった。
中国山地幻視行~厳島・恐る恐る石段を上る [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~厳島・恐る恐る石段を上る
昨年暮れ以来、腰痛に悩まされ「風と歩く」も1か月余りブランクが生じた。近くの外科クリニックに通いなんとか好転したので、果たして山登りは可能か、と1月9日厳島の弥山(535㍍)にトライした。
なんだ、500㍍の山か、と馬鹿にしてはいけない。連絡船を降りて海抜ゼロ㍍から。山頂の標高は正味、足で稼がなければならない。いくつかのコース(主要には三つ、ほかにもあるらしい)があるが、私が常用するのは大聖院横から石段を上る登山路。この日、船を降りるといくつかのグループが手ぐすねを引いていたが、大聖院コースを選んだ人はいなかった。そんなわけで前にも後ろにも人のいない山道を悠々と歩いた。
山頂、さすがに人が多かった。特に目についたのは外国人。最近、よく言われる観光ニッポンへのインバウンドであろうか。日本人より多いのでは、と思われた。予報では晴れだったが薄曇り、気温やや低め。眼下の瀬戸内海は薄く靄がかかっていたものの春らしく鈍く光っていた。
気がかりは腰痛。登りはさほどこたえなかったが、下りにかかると微妙に響いた。通常2時間ほどのコースだが、この日は恐る恐る、2時間半ほどかかった。まあ、上出来の部類だろう。
中国山地幻視行~大峰山・小春日和 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~大峰山・小春日和
11月20日、廿日市市と湯来町の境にある大峰山(1050㍍)に登った。我が家から1時間足らず。広島市内から最も近い1000㍍峰だ。朝から快晴、小春日和というやつである。気がかりは2日前に襲来した寒波。東日本だけでなく広島県北にも季節外れの雪をもたらした。大峰山は単独峰で、島根県側からの風を遮るものがない。これまでも予想外の雪に悩まされてきた。
麓から見上げると、山頂付近に雪はなさそうだ。車に積んだアイゼン、カンジキともこの日は用なし。終わりかけの黄葉を横目に、のんびりと(といえば聞こえはいいが、年とともにテンポは落ちるばかり)歩いた。
頭上に青空が広がる山頂から、カスミがかかり展望はきかなかった。気温上昇が影響しているようだ。気温計では12度だが、その割に北から吹く風が冷たい。フリースを一枚着込んだ。
駐車場に帰ると、タンポポが咲いているのに気付いた。気候異変のせいか、と帰宅後ネットで調べた。確かに高山で晩夏に咲くのがあるが、それではないらしい。可能性があるのはセイヨウタンポポ。環境省が日本の侵略的外来種ワースト100に選んだ。増殖力が強く1年中咲くという。あまりロマンチックな話ではないらしい。
中国山地幻視行~比婆山群・紅葉の牛曳と毛無 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~比婆山群・紅葉の牛曳と毛無
秋口に夏日が続いたため、今年の紅葉のピークは予想がつかなかった。広島県北の比婆山群に狙いを定め現地にも問い合わせたが、要領を得なかった。最近の天候不安(不順?)は罪深い。考えた末に4,5日遅らせ10月31日、現地に向かった。
時季はどんぴしゃりだった。ただ、寄る年波には勝てず、いつもの牛曳-毛無山縦走はやめ、牛曳は途中まで、毛無は山頂までの紅葉を楽しむことにした。縦走だと時間がかかりすぎるためだ。
牛曳の山すそは、当地では珍しい白樺林があり、紅葉と見事なコラボを見せる。これを楽しんだ後、毛無のゆったりとした登山路を山頂(1144㍍)まで歩いた。コース短縮が功を奏し(?)、山名の通り草原が広がる山頂にはまだ誰もいなかった。ススキが逆光に映えて美しく揺れていた。
帰途は出雲峠を回ったが、道は荒れていた。
中国山地幻視行~三倉岳・やっぱり秋だ [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~三倉岳・やっぱり秋だ
久しぶりに三倉岳に登った。調べたら2月以来。8か月ぶりである。全コース、石段登り。しんどいことこの上ない。この日もあえぎあえぎ、山頂を目指した。
9合目を越えたあたりから様子が変わった。崩れたままだった急斜面が整備してある。旧来の朝日岳~中岳~夕陽岳のコースは封鎖され(それでも通る人は通っていたが)、夕陽岳往復を余儀なくされていたが、なんと通行止めのロープが外してある。看板を読むと、自己責任でコースを選びなさいということのようだ。
夕陽岳の南側にある大岩に陣取り、下界を眺めた。いつもながら、ここからの眺望は最高だ。稲穂は黄色く色づき、刈り取りを待つばかり。上空に広がる空は高い。
次回は、中岳からの縦走コースをとることにしよう。
中国山地幻視行~恐羅漢山・一瞬の秋を満喫 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~恐羅漢山・一瞬の秋を満喫
中国大陸から高気圧が張り出した9月24日、広島県の最高峰、恐羅漢山(1346㍍)へ車を走らせた。島根県境に近いスキー場の駐車場に乗り入れると、既に10数台の車。近年にない光景だ。手元の気温計を見ると22度。強めの風が吹く。秋を実感した。
ゲレンデ横の細い道を登る。見上げるとススキの穂が揺れていた。その上に高く青い空。風は冷たいが陽光は夏を思わせる。ストーブとクーラーを同時につけた部屋にいるようだ。だがそれも、日差しを遮る林間に入ると、秋一色になった。
山頂は人であふれていた。岩の上から遠方を望む。気温が下がり風もあるので、遠くまで見える。東方、やや北寄りに高い山。大山だろうか(帰宅後に地図で調べたが、確実なことは分からなかった)。島根県側には発電用の風車の列。
下りは夏焼のキビレを経由。キビレは峠のこと。「くびれ」から来たと思われるが由来は知らない。足元の雑草やブナの巨木をカメラに収め、プラプラと歩いていたら標識にあった所要時間の倍かかった。おかげで駐車場に戻ったころには、朝方あれほどいた車のほとんどが姿を消していた。一瞬の秋を満喫した一日だった。
中国山地幻視行~秋を探しに [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~秋を探しに
この暑さ、なんとかならないものか。ブログも1か月休んでしまった。暑さで山に登る気がしないためだ。しかし、そろそろ更新しないと世間から忘れられそうだ。考えた挙句、1か月前の山を再登場させることにした。深入山の開放的な尾根筋、風が吹けばなんとかなる。しかし、無風・カンカン照りというリスクもある。例年なら夏も終わりに近い8月29日、前者の可能性に賭けた。
結論を言うと、前者に近い天候だった。「近い」とは…。さわやかな風が吹き抜ける程度なら心地よかったのだが、天気予報は外れ横殴りの強風に見舞われた。しかも雨交じり。広島県の最高峰、恐羅漢山を見やると、分厚い雲が不気味に山頂付近を覆っていた。あの雲がこちらへ来れば…。天気予報を信じ切っていたので、レインウエアは車の中。後悔先に立たず。ザックに付けた気温計は25度を上回ることはなかった。皮肉を込めて言えば、秋を探しに登ったのだが、最も秋を感じたのはこの強風だった。
例年ならこの時期、夏と秋の花が共演して山を彩る。しかし、これも暑さのせいか、登山道は寂しかった。そんな中でやっと見つけたのが以下の花々である。
ナデシコ、キキョウは秋の七草のひとつ。本来なら秋のイメージだが、最近は夏に開花する。マツムシソウも、秋の花と思っていたが夏から咲いている。ツリガネニンジンはまぎれもなく夏に開花する。準絶滅危惧種のサギソウも夏の花。こうしてみると、秋の花ってどんなのがあったかな…。
夏の色が濃い登山道
恐羅漢山には不吉な雲が…。手前のススキは強風で揺れている
山頂に着くころ、雨が
急いであずまや(ススキの向こう、右手)に避難
あずまやから山頂を見る
サギソウ
中国山地幻視行~大峰山・やっぱり夏は暑い [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~大峰山・やっぱり夏は暑い
この日、駐車場で気温計を見ると30度。予想より低かったが、別荘地の舗装道では照り返しが厳しい。杉林に入るとほっとした。樹間を抜ける風が心地いい。だが、それもつかの間。昔のようにはいかない。木漏れ日が熱風を運んでくる。汗が滴る。しかし、ここで辛抱すると熱中症が怖い。休憩を取り、水分を補給する。おそらく、いつもの倍ぐらいの時間がかかった。
山頂は岩と濃い緑と夏の雲の競演。いいなあ、山は。でもやっぱり夏は暑い。今度は涼しいときに来よう。
中国山地幻視行~深入山・久しぶりの晴天 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~深入山・久しぶりの晴天
南登山口の駐車場に車を置き、斜面に取り付いた。新緑が目に染みる。気温30度。風があり、暑さは気にならなかった。ツアー客10人ほどが先行していた。
この山は8月になると百花繚乱になる。今は端境期。山道の両側にウツボグサが盛期だが、地味な花である。ササユリは終わりに近かった。風雨にさらされ、花弁は傷ついていた。その中から比較的整ったものをカメラに収めた。風に揺れるギボウシの隣に見かけない花?(写真参照)。登山口の案内所でも聞いたが名前は不明だった。
山頂で周囲の山々を眺めていると「あれは聖湖?」と聞く年配女性。「そう、左が聖山。右が高岳」と説明した。すると「もうすぐ常念へ行くんですよ」と楽しそうに話した。「どちらから?」と聞くと「燕山荘に泊まって…」という。「では中房から合戦尾根を登って、表銀座縦走ですね」と聞くと、少し戸惑って「そうみたい」という。友人数人のグループで、日程とコースは任せきりのようだった。それでも、ひとしきり北アルプスの話。「いいですね」で締めくくった。
山を下りると案内所で地元産のアイスクリームを食べ、体を冷やした。うまかった。花名を確かめたのも、この時である。
*ギボウシの隣にあった見かけない花?は、BUNさんの指摘により「オオバギボウシの蕾」と判明しました。
中国山地幻視行~道後山・寒気と青空とイワカガミ [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~道後山・寒気と青空とイワカガミ
関東一円の季節が逆戻りしたと報じられた5月23日、中国山地で同じ目にあった。かねて予定していた広島県北・道後山(1269㍍)へ。イワカガミが見ごろ、と目算を立ててのことだった。予報は前夜に崩れるものの当日は晴れと出ていた。
駐車場に車を置き、見上げた岩樋山(1271㍍)の頂上付近はガスに包まれていた。それは秒速で広がり、駐車場まで降りてきた。ぽつりと雨粒。迷ったが、ここまで来て帰るわけにもいかないと思い直し(自宅から片道100㌔以上ある)、身支度を整えた。歩き始めると雨は本格化した。たまらず途中の休憩所でザックカバーをかけ、アウターを着込んだ。泥で滑る山道を慎重に登った。
岩樋山の山頂付近に、目当てのものはあった。時期は外していなかった。そこかしこに小さなピンクの花弁が、競うように開いていた。下を向いて歩いたので気づかなかったが、周囲の山々は相変わらず霧の中だった。岩樋山から隣の道後山まで、雲上のプロムナードである。アップダウンは苦にはならなかったが、北からの寒風が確実に体温を奪った。気温計を見ると10度ほど。体感はそれより数度は低いだろう。
道後山で昼食をとった。頭上の雲が切れ、青空がのぞいた。しかし、北東へ直線距離で44㌔の位置にある大山の山頂はガスの中だ。風は相変わらず冷たい。上空に寒気団が入り込んでいるのだろう。寒気と日差しが交互に訪れる、忙しい天候はしばらく続いた。
中国山地幻視行~船通山・カタクリはまだ咲いているだろうか [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~船通山・カタクリはまだ咲いているだろうか
島根・鳥取県境の船通山(1142㍍)に5月9日、向かった。目当てはカタクリの花だった。時期は明らかに失していた。例年なら4月末か5月初め。しかし、今年のGWは悪天続きだった。人出も多く、駐車スペースもないだろう。そんなわけで、時季外れの山歩きとなった。
予報をにらんで決めただけあって、この日の天候は最高だった。中国山地を走る車から見る新緑は輝いていた。
広島県から183号を通り、鳥取県日南町から山腹に入った。予想通り? 車一台いない。駐車スペースは貸し切り状態だった。「熊に注意」の看板を横目に山道に入った。いきなり長い階段状の道。歩幅が調整できずつらい。汗が噴き出る。見上げれば、新緑が美しい。季節は夏間近を思わせた。スプリング・エフェメラル(春の妖精)とも呼ばれるカタクリはまだ咲いているのか。つい不安になった。
頂上直下の急登。いつもならここで見つけるのだが…と思いつつ、足元に目をやる。あった。数は少ないが、あった。風雨のせいで花弁が傷ついている。ところどころに一輪、一輪。
山頂広場。盛期なら無数に咲く紫の花は、ぽつりぽつりとしか咲いていなかった。しかし、もう終わっているかもとあきらめていたので、うれしくもあった。
北東の方角、約40㌔に大山が見えた。その上の空は青く突き抜けていた。雲一つなかった。
右はハイキングコース、左は直登コース。迷わず右へ行く
長い階段。歩幅が合わずつらい
山腹をトラバースする道に出て一息
見上げれば新緑がまぶしい
山頂で見つけたカタクリの花。風雪の跡が痛々しい
カタクリの花
大山を望む
正面に大山。わかるかな
出雲方面を望む
長い石塔には「天叢雲劒出顕之地」とある。スサノオが八岐大蛇を退治し、
尾から出た劔を天照大神に献上したという古事記の記述に基づく
中国山地幻視行~高岳・沢に転落の一件 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~高岳・沢に転落の一件
空は晴れていた。ルンルン気分で杉林を行った。…目の前の光景が、どこか違っていた。
橋がない。いや、橋はあった。真ん中がぽきりと折れ、渡れる状態ではなかった。落ち込んだ中央部に松の倒木があり、これが腐りかけた橋を直撃したに違いなかった。
4月17日、広島・島根県境の高岳(1054㍍)に向かう。
沢沿いをさかのぼり、渡渉地点を探す。かつては橋がなく、こうして渡っていた。最近は石垣などで整備が進み、その分渡るのは困難になった。
それらしい場所を探し、じゃぶじゃぶと渡った。対岸の崖は思ったより軟らかく、登るのに手間取った。
尾根伝いに快適な山道が続く。早春の木々はモノクロのたたずまいだったが、ところどころ淡いピンクの塊が宙に浮いていた。近づいて見ると、アカヤシオのようだった。やがて上りが増え始めると、右手に聖湖面が光って見えた。
山頂は、きれいに刈り込まれていた。さっぱりしてはいるが、ここまで人工的なにおいがするのはどんなものか。そんな思いもした。黄砂のせいか春霞のせいか、臥龍山も恐羅漢山も霞んでいた。
帰途。あの沢をもう一度渡らなければならない。上りと同じ地点を下った。手ごろな場所に木の枝があり、しがみついた。途端にずるり。わが身は仰向けのカエル状態で沢の中。ザックがクッションになり上半身は無事だったが、下半身はずぶぬれ。対岸にたどり着き、しばらく息を整える羽目に。
この事件がなければ、きょう一日いい日だったのにな。
中国山地幻視行~恐羅漢山・物語のこちら側 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~恐羅漢山・物語のこちら側
中国自動車道の戸河内ICを降りてしばらく、満開の桜の花吹雪をくぐった。しかし、恐羅漢山の駐車場から眺めた景色は冬の色をしていた。荒い息を吐きたどり着いたゲレンデ上部には汚れた雪の塊があった。季節の流れにあらがっているようだった。
標高1346㍍の山頂は冬枯れていた。木々は孤独なたたずまいで春を待っていた。登ってくる人もいない岩陰で昼食をとった。吹き来る風と光だけが次の季節の色をしていた。(4月3日)
中国山地幻視行~深入山・冬と春の間 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~深入山・冬と春の間
3月20日、久しぶりに島根県境近くの深入山(1153㍍)へ向かった。雪も解けているころ、と期待してのことだった。
南登山口の駐車場に車を置いた。案内所はべニア板で冬囲いしたままだった。山は冬枯れの木々が立ち尽くし、草原は勢いを失っていた。手元の気温計を見ると20度は優に越していたが、北から冷たい風が吹き付け、体感温度は低かった。冬ではないが春でもなかった。翌21日は春分の日。
枯れた草原へ足を踏み出した。少し経てば、あたりは新緑でおおわれることだろう。振り向けば、広島県内最高峰・恐羅漢山が雪を頂いて立っていた。半月後あたりに登ってみよう。そのころ、雪は消えているだろうか。
山頂に着くと、しばらくしていくつかのグループが登ってきた。相変わらず北風が冷たかったが、にわかに付近は賑やかになった。一人が小さなドローンを持ってきていた。山頂広場は、飛ばすにはちょうどいい。そう思いながら見ていた。
「この風で、落ちたりしませんか」
「いや、大丈夫です。マニュアルによると10㍍ぐらいは平気らしいですから」
たしかに、この日の風速は10㍍はなさそうだった。
山頂から北側へ回りあずまや横を抜けると、100㍍ほど山道は残雪に覆われていた。あとは春の日差しを浴びた、快適な落ち葉の道だった。
中国山地幻視行~窓が山・虫のごとく斜面を這う [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~窓が山・虫のごとく斜面を這う
啓蟄の3月6日、土中から這い出た虫のごとく、急斜面に取り付いた。
窓が山。中央に大きなキレットがあり、ピークを二つ持つ。登頂の楽しみが二度味わえるという良さも持つが、屏風のようにそそり立つ山容。標高は700㍍ほどにすぎないが、魚切からの急登はなかなか手ごわい。そのうえ、最近は奥畑からの中央登山道が人気があるらしく(ピークまで30分ほどで着いてしまう)、1時間半はかかる魚切コースは敬遠されがちのようで、道も荒れている。
登山口を過ぎると、山道はイノシシが掘り返した跡が続く。倒木が行く手をふさぐ。辛抱して登ると、頂上に近くなるほど傾斜が急になる。最後は岩登りである。視界はない。
西峰のピークで一瞬の眺望を楽しんだ後、キレットの底へ向かう。途中、終戦前年のゼロ戦衝突事故の犠牲者を祭る小さな祠の案内板。通るたび、粛然とした思いになる。
鎖場があり、再び登りにかかる。海側の眺望が開けると東峰の小さな広場。見上げると雲一つない。最高の天気だ。海が輝いている。足元の魚切ダムの湖面も、陽光がきらめく。
帰りもまた、二つのピークを経由して下った。西峰が東峰より高いが、その差はわずか60㌢。ほぼ相似形と言っていい山容が、戦時中のゼロ戦激突でもわかる通り、急峻にそそり立つ。興味深い山である。
中国山地幻視行~三倉岳・冷たい風の向こうに [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~三倉岳・冷たい風の向こうに
駐車場で8度だった気温は14度まで上がっていた。空は晴れている。絶好の登山日和と思われた。
2月20日、三倉岳。標高が上がるにつれ、風が強まった。標高といっても、たかだか702㍍の山である。しかし、北からの風は思いのほか冷たい。峠のような9合目まで着くと、尾根渡りの風は頂点に達した。夕陽岳の岩場へ、自然と足が速まった。
風が冷たく強い分、遥かな山なみがくっきりと見えた。山口方面の羅漢山や県北の雪をかぶった峰々が、吹き来る風の向こうに立ち上がっていた。
下り、久々に5合目の大岩に登った。峰の上は見事な青空だった。大岩の下で風の音を聞いた。冷たさは消え、葉の擦れる音が遠い海の波のように聞こえた。
中国山地幻視行~大峰山・雪山再訪 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~大峰山・雪山再訪
目の前に現れたのは、12月19日とあまり変わらない光景だった。雪に覆われた階段状の急登。汚れ具合が、降雪以来の日数を物語っていた。あの日、苦汁をなめたのはアイゼンの故障のせいだった。安くもない6本爪は新調した。平地ではこれほどの雪は想定しづらかったが、それでも、と思いザックに忍ばせてきた。
2月4日。気温はまだ氷点下であろう。物語るように、雪の切れはしからのしたたりは凍り付いていた。アイゼンを履く。ざくざくと気持ちよく刺さる。
山頂の大岩から見上げる空は快晴だった。
下降に移ると、八畳岩の雪上にイノシシらしき足跡を見つけた。断崖の上部から遠くを眺めていたように思えた。足跡を追って広島湾を眺めたが、イノシシらしきものの気持ちはわからなかった。
中国山地幻視行~年の初めの厳島 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~年の初めの厳島
今年もよろしくお願いします
昨年末は雪山に敗退したが、気を取り直して厳島へ。いつのころからか、年の初めは厳島と決めている。しかし、もう1月も9日だ。年の初め、などと威張って言うこともないか。
船を降りて向かったのが大鳥居。約70年ぶりの改装を終えたばかりで、巨大な額の金文字も柱の朱色も鮮やかさを増したように見える(実際、そうなのだろう)。神社裏手から大聖院へ回り、石段に取り付く。鐘がゴーンとなった。いつものことだが、展望台までの急登がきつい。ここを過ぎれば傾斜はやや緩やかになる。しばらく我慢すると仁王門にたどり着く。
弥山の山頂直下には大聖院の霊火堂があり、空海ゆかり「消えずの火」がありがたく置かれている。1200年間消えたことがないそうだが、実はこの堂、10数年前に全焼、再建された。その時も火は消えなかったのだろうか。なんとなくもやもやとしている。誰が言い出したか、消えずの火にあやかり「恋人の聖地」などとキャッチフレーズが付いているのも気恥ずかしい(まあいいか)。
ここから石段状の道をたどれば山頂広場(標高535㍍)。木製の展望台が目に飛び込む。3階屋上にのぼれば瀬戸内海の島々が見渡せる…はずだったが、靄がかかって視界がきかない。季節外れの高温のせいか。
来た道を下って船に乗れば、もう夕刻。年々、足が遅くなる。この日も実感したのだった。
中国山地幻視行~大峰山・ああ、経年劣化 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~大峰山・ああ、経年劣化
乗り入れた駐車場はまっさらな雪に覆われていた。轍の跡などなかった。「よしよし」と心の中でつぶやいた。止めた車のタイヤを見ると、3分の1ほど埋まっていた。
西日本を含む列島を強力寒波が襲った12月19日。防寒を周到に整え、歩き出した。別荘地の中を行く。足首まで雪に埋まった。杉林に入った。さらに急登になる。アイゼンを履き、再び歩き出した。違和感。なんと、アイゼンを固定するゴムバンドが両脚とも切れていた。バックル式で締める6本爪を常用しているが、考えてみれば相当期間使っている。経年劣化だろう。しかし、代わりがない。かんじきは車の中だ。この山は頂上に近くなるにつれ傾斜が増し、おまけに階段が多い。かんじきで苦労した記憶があり、アイゼンが最上と判断したのだ。それがこんな壊れ方をするとは…。
仕方なく、滑り止めなしで上がる。雪はどんどん深くなる。スリップによるロスが多くなった。時計を見ると、通常の倍はかかっていた。山頂までたどり着けるか。にわかに不安になった。疲労も増してきた。ここは思案のしどころ。
引き返すことにした。アイゼンのゴムバンドのせいではない。以前ならこんな状況でも、突破する余力があった。それが今はない。肉体の経年劣化こそ最大の問題、と思い知らされた日だった。
中国山地幻視行~窓ヶ山・青い空と光る海 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~窓ヶ山・青い空と光る海
快晴の一日。こんな日を小春日和というのだろう。近くの山から広島湾を眺めたくなり、窓ヶ山(711㍍)に向かった。
11月25日、魚切の登山口。ここには毎年今頃、皇帝ダリアが咲く。作業場らしき建物の敷地内、見上げるような位置に薄紫の花。原産は中米当たりのはずで、もちろん自生ではないだろう。横目に眺めてコンクリートの舗装道を登り、鬱蒼とした林に入った。
この山は、最初は緩くだんだんと急登になる。山頂に近くなると、ほとんど岩場になる。そこまで行くと、なぜこの山にしたのかといつも後悔する。そんな気持ちを押し殺し、あえぎながら山頂につくと、広島湾の展望が眼下に広がる。青い空、光る海。先ほどの後悔はどこかに吹き飛んでいる。現金なものである。
中国山地幻視行~高岳・黄金の緞帳 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~高岳・黄金の緞帳
11月7日、目当ての山の登山口付近に車を置くと後続車の女性が声をかけてきた。「すごい天気ですね」。「紅葉もちょうど頃合いのようですね」と返した。
広葉樹の中を緩く登る登山道は、陽を浴びて黄金の緞帳のようだった。ついついカメラを向けるのに忙しく、「歩き」がおろそかになった。しかし、1時間もあれば頂につく山である。ほどなく360度展望の広場に出た。
登山口の女性は直後に来た車に同乗、引き返していった。聖山からここ高岳まで縦走をかけたらしい。そのための分散駐車のようだった。若いころはこの山の往復では物足りず、縦走路を行ったものだったが、今では山頂までのピストンがちょうどよくなった。往復に紅葉見物の時間を割く余裕もあるというものだ。
中国山地幻視行~牛曳から毛無へ・紅葉には少し早かった [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~牛曳から毛無へ・紅葉には少し早かった
そろそろ紅葉の季節、というわけで10月26日、広島県北・比婆連山へ車を飛ばした。ここ数日、天候ははっきりしなかったが、この先3日間は気象庁の保証付きだった。例年なら見ごろのはずだが、山仲間から「今年は紅葉が遅い」の声。若干の危惧を抱きながらの山行だった。
昨年はパスした牛曳山の登山口。この地では珍しい白樺林と紅葉のコラボが楽しめる。足を運ぶと、既に男性が2人、シャッターを切っていた。カメラを構えると、背後を二人連れが登って行った。まずまずの人出だが、紅葉見物にはやはりタイミングが早すぎたか。ところどころ緑が目立ち、紅葉だけをフレームに収めるには工夫がいった。
ひとしきり写真を撮り、頂上(1144㍍)を目指した。目指す地点は展望なく、三差路のような山道に古びた標識が立つだけだ。呼吸を整え、伊良谷山(1149㍍)を目指した。ピークから大山が望めた。昨日(25日)、初冠雪のニュースが流れたが、そのとおり山頂付近は白い帽子をかぶっていた。
ここから急降下したのち、緩く長い登りを経て毛無山(1144㍍)。名前の通り頂上に草原が広がり、正面に比婆山とその向こうに吾妻山が見える。古事記でイザナギノミコトとイザナミノミコトの神話の舞台とされた山だ。ここも紅葉見物には少し早かったようだ。幸い、雲があったものの天候に恵まれ、気温も17度あたりで安定していた。ここからも、冠雪の大山が望めた。昼食をとり、のんびり下山した。
中国山地幻視行~三倉岳・田は黄色く色づいて [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~三倉岳・田は黄色く色づいて
林間を走っていると、フロントガラスにぽつりと雨。予想外の事態に慌てた。予報では、曇りのち晴れだった。駐車場でザックの底を探る。幸い、雨具は持ってきた。
10月11日、三倉岳。階段状の急登の頭上で声がする。それも日本語ではない。おそらく米国人二人。体がごつい。壁に取り付き、楽しんでいるようだ。岩国基地からではないか。ここから山口県境までわずかだ。ようやく9合目までたどりつき、一休みしていると先ほどの二人が追い付いてきた。「モウイイヨ」と笑っている。石段を堪能したようだ。
10分ほどで夕陽岳(西峰)の山頂。足元に広がる栗谷の集落では、田の稲穂が黄色く揺れ、収穫間近を告げていた。いつ来てもここからの眺めは素晴らしい。やがて二人連れも来て、風景を楽しんだのち「ウツクシイネ」と一言、下山していった。心配した雨に降られることはなかった。
夕陽岳の山頂付近から
栗谷の集落の田は黄色く色づいている
大野権現山。特徴的な非対称の三角形をなしている
大峯山。こちらも非対称の三角形
中国山地幻視行~再び台風一過の・大峰山 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~再び台風一過の・大峰山
再び台風一過を狙った。ただ、前回とは少し様子が違っていた。気温が急降下していた。おまけに、風速数㍍はあろうかという風が冷たかった。最初の休憩地のベンチで気温計を見ると、17度だった。風を考えると、体感は10度と少しあたりと思われた。汗が冷たく、ウインドブレーカーを着込んだ。
9月21日、大峰山。頂上の大岩には先客がいた。途中の山道には台風の名残か、折れた枝や木の葉が散乱していたが、大岩から見上げた空は見事な秋の空だった。四方の山々や広島湾もきれいに見渡せた。ちなみに、眼下の厳島まで約20㌔、江田島まで約30㌔の位置関係である。
午後の下山時、やっと風がやんだ。路傍を彩る彼岸花は、多くがすでに盛りを過ぎていた。
大峰山頂から西方面を望む。空には秋の雲
広島方面を望む。右手に広島湾が広がる
中国山地幻視行~道後山・台風一過の縦走路 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~道後山・台風一過の縦走路
午前10時、月見ヶ丘の駐車場に乗り入れた。先行車が1台。思ったより少ない。
1時間かけて岩樋山の頂へ。手前の道でフウロが迎えてくれた。広場に飛び出すと、鮮やかな紫が目に飛び込んだ。トリカブト。猛毒で知られる。足元にリンドウ。標識の周りにはマツムシソウ。夏から秋へ、季節の移り変わりを告げている。
北東を望む。大山がどっしりと座っているはずだ。しかし、厚い雲に覆われ確認できなかった。見上げた空は青く抜けていたが、日本海方面は秋晴れとはいかなかった。
気を取り直して道後山に向かう。道の両側にフウロとマツムシソウが咲き誇る。時折、白い花。ヤマハハコグサである。山頂につく頃、北東の雲は多少晴れたが、残念ながら大山は確認できなかった。
山頂下の大池に向かう。サワギキョウは、昨年は時機を逸した。今年は見られるだろうか…。紫の花は、わずか数㌢。名前や姿に似ず、毒を持つという。
湿地帯にその花はひっそりと咲いていた。気が付けば、夕暮れが迫っていた。