パッと咲いた今年の桜~四季・彩時記 [四季・彩時記]
パッと咲いた今年の桜~四季・彩時記
今年の桜はじわじわっとでなくパッと咲いた。ある人の弁である。春の来るのが早かったこともあり、唐突感があった。そんなわけで3月28日、慌ただしく広島近郊の中国山地を見て回った。タイミングはぴたり、空は快晴だった。
厳島の紅葉、今がピーク~四季・彩時記 [四季・彩時記]
厳島の紅葉、今がピーク~四季・彩時記
快晴の11月18日、ピークを迎えた厳島の紅葉を楽しみました。約70年ぶりとなる2019年以来の改修工事をほぼ終えた大鳥居も、洋上の足場を除いて囲いが取り払われ、姿を見せていました。足場は27日まで見学用に使われるそうです。
爛漫の桜~四季・彩時記 [四季・彩時記]
爛漫の桜~四季・彩時記
桜の樹の下には屍体が埋まっている―とは梶井基次郎の言葉だが、満開の桜は私たちの情念を揺さぶる何かがありそれほど美しい、という事実を文学的に表現しているように思う。果たして爛漫の桜は、裏切ることはなかった。
四季・彩時記~厳島の紅葉 [四季・彩時記]
四季・彩時記~厳島の紅葉
山の紅葉はほぼピークを過ぎた。そこで島の紅葉を眺めた。11月18日、厳島。幸い好天に恵まれた。それにしても、紅葉は無常を感じさせる。それは厳島という土地柄のせいだけでもないようだ。
四季・彩時記~入梅のころ [四季・彩時記]
四季・彩時記~入梅のころ
桜や梅の開花がいつもより早めだと思ったら、入梅も早かった。5月15日に宣言が出て、史上2番目。コロナ、コロナで気をもんでいたら、もう5月半ばである。梅雨が明ければ一気に夏が来る。季節の回るのは早い。といっても、何もできないので庭の花でも眺めていよう。
さくら 今咲き誇る~四季・彩時記 [四季・彩時記]
さくら 今咲き誇る~四季・彩時記
好天に恵まれた3月29日、中国山地の里山を駆け巡った。さくらはどこも満開で、かすかな透明の風に散り始めていた。
さくら さくら 今咲き誇る
さくら さくら ただ舞い落ちる
(森山直太朗「さくら」から)
炎のごとく~四季・彩時記 [四季・彩時記]
四季・彩時記~光と風と水と [四季・彩時記]
宇多田ヒカルの「SUNTRY 天然水」のCMがいい。どこかの山岳地帯を歩く宇多田。バックに彼女の歌が流れる。陽も落ち、テントそばで詩を詠む。
月光をして汝の逍遙を照らさしめ、山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ
国木田独歩訳のワーズワースらしい。残雪の谷に滝が落ち、天を突く鋭いピークが空撮で浮かび上がる。甲斐駒のようだ。全編に光と風と水が満ちる。
光も風もない日常。庭の花でも眺めていよう。
厳島の紅葉~四季・彩時記 [四季・彩時記]
厳島の紅葉~四季・彩時記
11月22日、厳島にわたった。紅葉を見るためである。あいにくの曇天だったが、ちょうど見ごろとあって観光客だらけだった。紅葉を見たのか、観光客を見たのか、よくわからずじまいだった。
佛通寺の紅葉~四季・彩時記 [四季・彩時記]
佛通寺の紅葉~四季・彩時記
赤は人の心をざわつかせる。いつの日か、ざわつかせるその「何か」を撮りたいと思う。11月12日、紅葉で知られる広島県東部の佛通寺を尋ねた。この地方では珍しい臨済宗の古刹である。
春を満喫した一日~四季・彩時記 [四季・彩時記]
春を満喫した一日~四季・彩時記
「散り始めましたね」
大きなカメラを持った男性が声をかけてきた。「けさほどは、まだそんなでもなかったんですが」という。
広島県湯来町にある湯の山温泉のしだれ桜。別名「竹下桜」。竹下さんちの庭に咲くから、らしい。比較的若い樹で、花が小さい。
気温が20度を超した。腰が落ち着かない。早く行かないと、すべて散ってしまいそうだ。そんな思いに駆られて、中国山地に車を走らせた。湯の山温泉から、安芸太田町の旧JR可部線安野駅へ。既に廃駅だが、「花の駅公園」として知られる。桜に桃、レンギョウが春色を競う。
なんとか、春に間に合ったなあ。そんな一日。
可憐に春の訪れ~四季・彩時記 [四季・彩時記]
可憐に春の訪れ~四季・彩時記
日本人は桜が好きである。先日も東京の標準木で開花を確認する職員にメディアが群がり、4輪咲いたが5輪咲いてないので開花宣言見送り、などとやっているのを見て、さすがにご愛嬌を通り過ぎて異様なものを感じた。当然ながら翌日か翌々日には桜はさらに咲く。こんなことに血道を上げるのは、よほど日本が平和であるからだろう。
桜でなくても、春の訪れを感じることはできる。我が家の、猫の額という形容が似合う庭も、冬の間の土色一色からややカラフルになり始めた。主役は可憐で美しい花々である。
少年の日の夏の記憶~四季・彩時記 [四季・彩時記]
少年の日の夏の記憶~四季・彩時記
門柱横に植えたハナミズキに早朝、セミが一匹とまっていた。そういえば2、3日前、近くの植え込みにセミの抜け殻があった。あの抜け殻の持ち主が、このセミだろうか。カメラを持ち出し、そっと撮影した。羽根が透明なクマゼミである。まだ小さい。セミになったばかりであろう。
クマゼミといえば、巨木にとまって大きな声でなく。そんな記憶がある。めったに網で捕獲できなかった。第一、網が届かなかった。とれるのはアブラゼミかミンミンゼミか。たまにクマゼミが手に入ると大手柄をあげた気分だった。そのクマゼミが目の前の、手に届きそうなところにいる。とまっているのは2年ほど前に植えた、高さ2㍍ほどの小さな木である。静かにシャッターを押した。
日が高くなり、あのセミはまだいるだろうか、と確かめに行ったが、さすがにいなかった。ひょっとしてこの木に戻ってくるのでは、と根拠のない期待を抱いて翌朝も見に行ったが、いなかった。
少年の日の夏の記憶を連れて門柱のわきにとまっていたあのセミ、どこへ行ったんでしょうね。
桜開花~四季・彩時記 [四季・彩時記]
桜開花~四季・彩時記
桜の季節である。櫻の樹の下には屍体が埋まっている、と書いたのは梶井基次郎で、その解釈はさまざまあろうが、とりあえずはその背後に「死」のにおいを感じさせるほど凄みある美しさが桜にはある、とでも言っておこうか。
中国山地の里山に咲く桜を見て回った。サクラの語源としてサ(稲)の神が憑依するクラ(座)だとする説もあるくらいで、桜は里山によく似合う。
広島市の西方、廿日市市津田に向かう県道30号のそばに立派なしだれ桜がある。小川沿いに無造作に立ち案内板も何もないが、時に遠来の花見客もいる。ちょうど見ごろだった。
次に向かったのは広島市佐伯区湯来にある湯の山温泉のしだれ桜。案内板によると樹高18㍍という。昭和7年に苗が植えられたというから、樹齢85年になる。周囲の山々を借景に、見事な咲きぶりだった。
続いて訪れたのが旧JR可部線の安野駅。中国山地の人口流出に伴って2003年に廃線になり、使われなくなった駅舎とプラットホームを囲むように桜が咲き誇っていた。桜と廃線の取り合わせが移り行くものの哀しさを漂わせ、花の美しさにとどまらず何かを物語っていた。例年、黄色の菜の花とのアンサンブルが見事だが、今年は桜開花が遅かったため見ることはできなかった。
広島市近郊の中国山地をちょうど時計回りにめぐった。途中、道路沿いの桜も目を楽しませてくれた。花の向こうに太田川の川面がきらめいた。
春は滝のごとく~四季・彩時記 [四季・彩時記]
春は滝のごとく~四季・彩時記
このところ天候は不安定である。そんな中、つかの間の晴れ間を狙って中国山地を車で周回した。しだれ桜は湯来・湯の山温泉である。黄色いミツマタの花もそこで見つけた。桜や菜の花の競演は安野の、廃線となった駅付近である。桜色と赤、黄の滝のような競演は帰り際、道路端で見かけた。山すそを登り、ちょうど花見の宴たけなわのころ、お邪魔して撮影した。
四季・彩時記~宮島の紅葉 [四季・彩時記]
四季・彩時記~宮島の紅葉
宮島へはこの5年ほど、年の初めにしか行っていない。1年の計を立てると称して、島の山頂、標高530㍍の弥山に登るためだ。たまには紅葉を眺めてみるか、と11月23日、訪れた。
紅葉は、ピッタリのタイミングだった。瀬戸内海に浮かぶ島のため周辺地域より暖かく、毎年紅葉前線の最終ランナーである。この地方では、おそらく今年もこれが見納めになるだろう。
まずは「岩惣」という古い旅館(おそらく江戸時代からある)が奥まった位置にある「もみじ谷公園」をのぞく。午前8時台と早かったため、紅葉を通して朝日がまぶしい。公園を通り抜けるころ、道はふた手に分かれる。左を行けばロープウェー、右は山頂への登山道。一応身支度は整えているのでロープウェーには乗りにくい。登山道へと足を踏み入れる。川沿いのため、傾斜はそれほどきつくはない。1時間もたたず、ロープウェー終点から山頂へと向かう尾根道に飛び出る。さすがに人が多くなる。登山姿でない観光客も目立つ。そこから20分ほどで山頂。展望台は、2階部分が立ち入り禁止になっていたが無事、再オープンしていた。見ると手すり部分ががっちりしたものに替えられている。
この展望台から瀬戸内海の小島を眺め、下に降りたころ見覚えのある顔。以前、深入山と恐羅漢で出会ったSさんと三たびのばったりである。冒頭で書いたように、この山にこの時期登るのは近年ないことだった。それを考えると、極めて珍しい偶然と言えよう。Sさんも驚いていた。
三原・佛通寺の紅葉~四季・彩時記 [四季・彩時記]
三原・佛通寺の紅葉~四季・彩時記
ほぼ1年ぶり、三原の山間にある佛通寺を訪れた。昨年は紅葉を眺めるには多少早いか、というタイミングだったが、今年はピークをやや過ぎたか、といったころ合いだった。難しいものだ。昨年は雨模様、今年は曇天。昨年の方が、紅葉にツヤがある印象があるが、それでも時に滝のように、時に嵐のように晩秋を彩る木々の赤は見事である。佛通寺のいわれについては昨年書いたのでご参照願いたい。
四季・彩時記~水の容器 [四季・彩時記]
四季・彩時記~水の容器
所用で島根県へ出かけた。早朝、山里の道を歩いた。アジサイが満開であった。それにしても、アジサイという花は不思議だ。一つとして同じものがない。アジサイの語源はいくつかの説があるが、藍色の集合体を意味する「あづさい(集真藍)」が広く知られている。ただ、私は学名「ヒドランジア」をひそかに支持している。日本語に訳せば「水の容器」。