オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊦ [アジア・オセアニア幻視行]
オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊦
〈アオラキフライトとミルフォードサウンド〉
――南アルプスは何百㌔㍍にもわたって南北にのび、タスマン海から吹きつける湿った西風にたいする巨大な障壁となって立ちはだかっている。灌木の上部限界はわずかに1000㍍から1200㍍あたりで、これ以上の高さになると急に傾斜が増して絶壁状となり、氷河の発達が極めていちじるしい。標高3764㍍【注1】のクック峰の氷帽から、西海岸の海抜100㍍以下にある氷河の舌端まで、その全域が常時流動している氷におおわれている。
「ヒラリー自伝」【注2】の「クック峰南陵初登頂」は、こんな文章で始まっている。このとき、パーティーの一人が下山中滑落、重傷を負って救出は困難を極めたが、そのことも含めてヒラリーの一文は、NZサザンアルプスへの畏敬の念で満ちている。今回のNZ行きの動機のかなりの部分は、アオラキ/マウントクックを見ることだった。それも、ヒラリーがアタックした山頂付近のナイフ状のリッジを見たい。しかし、年々つるべ落としの我が体力を顧みれば、それはフライトによってかなえるしかなかった。
当初、予定されたフライトは悪天候、特に強風のため中止となった。一夜明けて見上げた未明の空は星が瞬き、風もなかった。絶好のフライト日和である。テカポ湖畔のホテルから近くの小さな飛行場へ向かった。
ミルフォードサウンドの「サウンド」は「入り江」を意味する。氷河によって削られ、後に沈下して海岸線となったミルフォードの形状は、本来はノルウェーなどと同じく「フィヨルド」と呼ばれるべきであろう。しかし、この地の発見者が必ずしもそうした知見に詳しかったわけではない。かくしてこの地は「ミルフォードの入り江」と呼ばれる。
ミルフォードサウンドを船で巡った。天候は雨と強風だった。もともと年間8000㍉は降るという地である。これぞミルフォードにふさわしい空模様、と割り切った。
【注1】測量技術が発達した近年、マウントクックの標高は3724㍍に修正されている。
【注2】草思社、1977年。吉沢一郎訳。
オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊥ [アジア・オセアニア幻視行]
オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊥
〈シダが繁る林間の道を行く〉
ミルフォードトラック。世界で最も美しいトレッキングコースだという。その名に惹かれ、世界からトレッカーが集まる。魅力の一端でも触れたいと思い、ルートバーントラックとあわせ、歩いた。
ルートバーントラックの「バーン」はスコットランドの言葉で(この地は英連邦の一角である)、「小川」を意味する。直訳すれば「ルート川トラック」。その名の通り、渓谷沿いに比較的フラットな道が続く。ところどころつり橋があり、たもとには「5persons」などと書いてある。この場合、「一緒に渡れるのは5人まで」という意味。つごう4回、つり橋を渡ると「フラットハット」という広い河原のようなところに出た。小さな山小屋があり、ここで昼食をとった後、引き返した。出発点のルートバーンシェルターからフラットハットまで往復13㌔、6時間余りである。
ミルフォードトラックは、観光地として知られるミルフォードサウンドから船でサンドフライトポイント(「虫が多いポイント」の意らしい)に渡り、スタートした。アーサー川の流れを左に見て、シダと苔と原生林に囲まれたトレッキングコースである。サンドフライトポイントからジャイアントゲート滝まで往復11㌔、約4時間である。
どちらのコースも思ったほど標高差がなく、快適であると同時にやや拍子抜けした。しかし、これは日帰りに限定したコース取りである。全行程歩き通せばミルフォード54㌔、3泊4日、ルートバーンでも32㌔、2泊3日の行程(いずれも最短日程で歩いた場合)である。全コースを歩く人たちはシュラフ持参で大きなザックを背負い(山小屋はシュラフ持参が普通らしい)、ひたすら歩く。本当は全コース歩き通さないと、神髄は見えないのだろう。
そのうえで歩いた感想を言えば、アップダウンが少なく苔とシダの生い茂る道は日本でいえば北八つあたりに近い印象かな、と思った。
オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊤ [アジア・オセアニア幻視行]
オセアニア幻視行~ニュージーランド・大地と空の原初的記憶=㊤
〈テカポ゚湖に映るアオラキ/マウントクックを見た〉
高度1万㍍を保って赤茶けた大地の上を延々と飛んだ機体は、いったん洋上に出た後、しばらくしてぐんと高度を下げた。窓下に広がっていた雲海はいつしか消えた。機体が大きく左に旋回し、主翼が下がってオーストラリアの乾いた大地とは違う、緑の平野が広がった。ニュージーランドである。関空を出てシンガポール経由、飛行時間計16時間の後に見たオセアニアの果ての大地。
南島クライストチャーチに着陸後、バスでさらに南へ500㌔、クイーンズタウンに向かった。その中間点あたり、プカキ湖では快晴の空のもと、サザンアルプスの盟主アオラキ/マウントクックを眺めた。3724㍍。富士山よりやや低い。だが山のかたちは峻烈で多くの氷河を抱く。タスマン海からの湿った西風が年間1万5000㍉ともいわれる雨と雪を降らし、それが厚さ70㍍の雪の塊を作るといわれる。そうした過酷な気象がいくつもの太い氷河を形成する。
しかし、氷河から流れ込むプカキ湖の水面は青と白の混じった不思議な色をして、アオラキ/マウントクックをこの世とは隔絶しているかのようだった。エベレスト初登頂をなしたエドモンド・ヒラリーが家業の養蜂業のかたわら、野心を胸に登った山はこのとき、あくまでも美しく神聖に見えた。
◇
3月中旬に約1週間、ニュージーランドを訪れた。日本の4分の3ほどの地に500万人足らずが住む国。印象深かった大地と空の風景を点描する。
アジア幻視行~漢拏山・火の島 風の島 [アジア・オセアニア幻視行]
アジア幻視行~漢拏山・火の島 風の島 |
5月2日、この山に登った。日本から空路2泊3日。山仲間10人でツアーに参加した。天気もよく上々の山行だった。
火山の型から推測がつくが、登山路が非常に長い。距離にして9.6㌔、標高差では1200㍍。もっとも一般的な城板岳登山路から入ったが、もう一本の登山路でも約8㌔ある。どちらにしても溶岩台地を長時間歩かねばならない。普通に歩いて登り4時間半程度らしいが、総勢30人のツアーだったため5時間余りかかった。岩がごろごろして歩きづらいところもあるが、総じて木道が整備されている。
大型バスが何台も入る駐車場(標高750㍍)を出発し、樹林帯の中を6㌔あまり歩く。ほぼ平坦といっていい。周りは落葉樹のほか、何も見えない。見上げた空は青かった。これを過ぎてやっと本格的な登りになる。階段状の道をあえぎながら抜けると頂上一帯が見えてくる。大きな山小屋もある。周囲の斜面はツツジが咲き乱れるらしい。本当はシーズンなのに「らしい」と書かねばならないのは、開花が遅れているためである。例年なら4-6月が時期のはずだが、いまだつぼみのままだった。天候異変は日本と同じらしい。
ここからの登りは見晴らしがきき、苦しいが快適である。丸い山の左側を巻く。ゴールが見え始める。小屋から1時間半で頂上。この島は風の強いことで知られるが、この日は幸運にも微風だった。火口湖が見下ろせる。雲はほとんどない。黄砂のためか、遠くはかすんでいる。海は見えない。溶岩のすそ野が広がる。この島が火山でできたことがよく分かる。
たどりついた頂上は登山者でいっぱいだった。いかに韓国の人たちに愛される山かが、よく分かる。ウエアもカラフルだ。日本と比べると、30-40歳代が多い。早足で登る。こちらが特別ゆっくりペースだったこともあるが、かなりの人数に追い越された。これも国の勢いの差というべきか。下山はそのまま同じ道をたどった。合計20㌔弱。長かった。
登山口発06:15‐山小屋着09:50‐頂上着11:45‐頂上発12:20‐登山口着16:25
ここから30分、左の丸い頂が山頂。左側を巻いて登る |
標高1900㍍地点。ここを登り切ればゴール |
登山者であふれる漢拏山の頂上 |
火口湖が見下ろせる |
すそ野の広い溶岩台地がよく見える |
長い樹林帯。韓国の登山者(右端)が日本人登山者(前方)を追い越していく |
「ツツジ畑」という名の山小屋。標高1370㍍にある |
ツツジはまだつぼみだった |
9.6㌔は長い。前半3分の2はほぼ平坦 |