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中国山地幻視行~恐羅漢山・一瞬の秋を満喫 [中国山地幻視行]


中国山地幻視行~恐羅漢山・一瞬の秋を満喫


 中国大陸から高気圧が張り出した9月24日、広島県の最高峰、恐羅漢山(1346㍍)へ車を走らせた。島根県境に近いスキー場の駐車場に乗り入れると、既に10数台の車。近年にない光景だ。手元の気温計を見ると22度。強めの風が吹く。秋を実感した。
 ゲレンデ横の細い道を登る。見上げるとススキの穂が揺れていた。その上に高く青い空。風は冷たいが陽光は夏を思わせる。ストーブとクーラーを同時につけた部屋にいるようだ。だがそれも、日差しを遮る林間に入ると、秋一色になった。
 山頂は人であふれていた。岩の上から遠方を望む。気温が下がり風もあるので、遠くまで見える。東方、やや北寄りに高い山。大山だろうか(帰宅後に地図で調べたが、確実なことは分からなかった)。島根県側には発電用の風車の列。
 下りは夏焼のキビレを経由。キビレは峠のこと。「くびれ」から来たと思われるが由来は知らない。足元の雑草やブナの巨木をカメラに収め、プラプラと歩いていたら標識にあった所要時間の倍かかった。おかげで駐車場に戻ったころには、朝方あれほどいた車のほとんどが姿を消していた。一瞬の秋を満喫した一日だった。


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登山路横のススキが揺れる。その上に青い空


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山頂から東方を眺める

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臥龍山のアップ

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深入山のアップ

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島根県側には風車の列

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恐羅漢山の頂

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空は青く高い

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夏焼のキビレ(峠)。恐羅漢山と砥石郷山の暗部にあたる

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駐車場から恐羅漢の頂上付近を望む

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アキチョウジ
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サワフタギ。沢をふさぐほど茂るというのが名前の由来。この山では尾根筋に生える。不思議


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「冒険」の意味を問う旅 [山の図書館・映画館]


「冒険」の意味を問う旅


「裸の大地 第二部 犬橇事始」(角幡唯介著)


 古い話になるが、本多勝一著「カナダ・エスキモー」を読んでいて、エスキモー犬に「ヒューマニズム」や愛情は禁物だ、犬橇をひく犬は愛玩対象ではなく労働犬だからだ、というくだりに軽いカルチャーショックを覚えたことがある。半端な愛情をかければ、犬たちは確実にその人間に従わなくなるという。「犬になめられた」状態になるのである。氷点下30度の氷原で犬と生死を共にするための思想が、底流にある。


 同じことを一冊の本で全面展開したのが、角幡の「犬橇事始」である。
 「冒険とは何か」。これが角幡の永遠のテーマであるようだ。例えば、登山。8000㍍峰全14座登頂を達成したラインホルト・メスナーは「ヒマラヤより高い山に登ることは不可能だし単独行より少人数の遠征などありはしない」と山を断念した。点から点へ、どれだけ早く、どんな方法で移動するかを競う時代は終わったのだ。人類の能力の限界を問う時代が終われば、後はバリエーションの開拓か、個々の力の限界を試すものとしての登山が残る。
 チベットのツァンポー峡谷を踏破し「空白の五百マイル」を著した角幡は、社会体制の外側に出ることこそ冒険の本質だと定義づけた。現代の優れた登山用具を使い、酸素ボンベや多くのシェルパの助けを借りてエベレストの頂上に立つことは冒険なのか。もちろん、気軽にハイキング気分で行ける山ではないが「冒険の対象」という観点で、そうとらえる。
 「極夜行」を断行した角幡は、次の冒険として「犬橇の旅」をもくろんだ。橇はイヌイット(エスキモーとの呼称の違いについて角幡は詳述しているが、ここでは省く)が日常的に使うものを使う。日本でメーカーに依頼して作り上げたものを持ち込めば、おそらく高強度、高性能のものが手に入るだろうが、それをよしとしない。それはイヌイットの社会に直結しない、環境の「外部」の道具に他ならないからだ。
 あくまでもグリーンランドの氷の大地が生み出したものを食糧に、道具はイヌイットの社会で生産可能なもの。そうした旅こそが冒険ではないか。角幡はそう言う。

 すべては一からの出発である。まず橇を引く犬を手に入れる。これが大変である。イヌイットの猟師はそれぞれ有能な犬を飼っているが、おいそれとは譲ってくれない。手放すのは訓練不足だったり、老いぼれたり、ダメ犬ばかり。それでもチームとして形を成すよう、訓練していかなければならない。次に橇づくり。プラスチックのライナーは衝撃で壊れる。それらをつなぎあわせる方法も学ぶ。氷原は平らなところばかりではない。乱氷帯もあれば登りも下りもある。下りは暴走の危険があり、楽なわけではない。
 次に海豹(アザラシ)狩りである。100㍍まで近づき狙うが、そこまでいかないうちに逃げられてしまう。あるとき、逃げられるだろうとやる気ないまま近づくと、不思議に逃げなかった。「殺気」が障害だと知る。自然と一体になることが重要なのである。
 最終目的は海豹を獲りながらグリーランドの氷原を旅することで、そのための犬橇だった。ここで意識的なハードルが生まれる。復路の食糧を確保したうえで旅をするのか。10頭以上の犬の分も含めれば相当量である。途中で手に入ることを前提に旅するのか。
 帰路の食糧を持たず大氷原に乗り出せるか。それができなければ、真の旅する力を持つことはできないのではないか。これは現代社会に生きる人間の限界を問うことでもある。果たして自分は、社会の外側で生き延びることができるのか。
 ――旅は生きている自分を実感するための方途であるだけでなく、作品でもある。
 角幡は「冒険」の意味をこう書いている。

 こうした格闘の中、予想外の事態が角幡を襲う。コロナ禍によって「チーム角幡」は解散が不可避になる。文明社会の外側に出るためにグリーンランドに拠点を持った角幡。皮肉にも「コロナ」という搦め手からは逃げられなかったのである。
 集英社、2300円(税別)。「裸の大地」第一部は「狩りと漂泊」。狩りを前提とした旅へと乗り出す彼の冒険観が展開されている。

裸の大地 第二部 犬橇事始


裸の大地 第二部 犬橇事始

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2023/07/05
  • メディア: 単行本



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