カールへの旅・錦繍を求めて(下)~北ア幻視行 [北アルプス幻視行]
カールへの旅・錦繍を求めて(下)~北ア幻視行
台風19号が近づいていた。10月11日(金)。朝から空は重苦しい灰色をしていた。きょうは横尾から上高地に向かい、自宅に帰るばかりだ。
河童橋から見上げた奥穂のピークは雲に覆われていた。ひょっとするともう来ることはないかもしれない穂高。少し感傷の混じった気分で、通りがかりの人にシャッターを切ってもらった。
事態の深刻さに気付いたのは、松本駅に着いてからだった。山ではずっと、ネット圏外の生活で、ニュースなどに全く触れていなかった。
超大型台風が土曜日から日曜日にかけて東海、関東を直撃するという。そのため、新幹線など交通機関は土曜日から計画運休を構えていた。その前に移動しておこうという人が、松本駅にも殺到していた。みどりの窓口に駆け込むが、すでに新幹線の指定席はないという。いろいろ考えた末、以下のようにした。
松本―名古屋の特急「しなの」はガラガラだった。上りのためだろう。名古屋から新大阪までは「ひかり」で指定席が手に入った。問題はその先である。新大阪発「さくら」の自由席なら、始発なので潜り込めるかもしれない。駅員のアドバイスに従った。しかし、新大阪のホームは長蛇の列だった。絶望的な気分で末尾に並んだ。
結局、奇跡的に席を確保できた。広島まで通路は立ち客でいっぱいだった。指定席の車両に移動するよう、車内アナウンスが繰り返された。
◇
このたびの台風19号では、東日本を中心に多くの方が犠牲を強いられました。あらためてお見舞い申し上げます。あわせて地球規模での深刻な環境異変を憂慮します。
カールへの旅・錦繍を求めて(中)~北ア幻視行 [北アルプス幻視行]
カールへの旅・錦繍を求めて(中)~北ア幻視行
周囲のごそごそする音で目が覚めた。まだ日は出ていなかった。起きだして、カールの底部へと向かった。モルゲンロートを見るためだ。宿をとった涸沢ヒュッテの展望台は人でいっぱいだった。10月10日(木)の朝が始まった。
カールの底には三脚が並んでいた。もちろん、モルゲンロートを撮るためだ。私も一眼のミラーレスを取り出し、構えた。予報通り、この日も快晴の空が広がった。背後の山越しに朝日が差し始めた。奥穂や北穂の岩稜帯が赤く染まった。
一つだけ、後悔があった。最後まで迷った17-35㍉のズームを、結局自宅に置いてきてしまったことだ。10㌘でも荷物を軽くしたい、との思いからであった。しかし、目の前の光景を見ると、もっと広角が欲しかった。17㍉どころか、12㍉が欲しいと思うほどだった。できることなら、奥穂と北穂のピークを一枚の写真に収めたい。しかし、かなわぬ願いだった。
朝日があたる穂高連峰を、一つのショーを見るように堪能した後、パノラマコースへ向かった。以前、涸沢から屏風の頭までを往復した際、涸沢の全景が眺められるポイントがあることを記憶していたからだ。
15分ほどでたどり着くと、先客がいた。カールの全景は見えるが、左下に山の影が残り、気になった。影はなかなか消えなかった。この日は早い昼食をヒュッテでとり、横尾まで下りることにしていた。そのため、あまり長くは待てなかった。やむを得ず、山が影を落とすカールにレンズを向け、シャッターを切った。まあ、これはこれで朝の風景だとわかるというものだ。
紅葉は思った以上に、見事だった。「10年に一度」と評する声もあった。そうかもしれない。ただ、もう数日早ければもっと鮮やかだっただろう、という思いもどこかにあった。しかしそれは贅沢というものだろう。
午後はのんびり、横尾まで下った。ナナカマドがきれいだった。振り向けば、穂高の岩稜が見下ろしていた。正面には屏風岩がそびえていた。見飽きることはなかった。奇跡の快晴は終日続いた。
カールへの旅・錦繍を求めて(上)~北ア幻視行 [北アルプス幻視行]
カールへの旅・錦繍を求めて(上)~北ア幻視行
「美しい紅葉」全国ランキングをやると、必ず1位になる地がある。北アルプス、穂高に抱かれた涸沢である。一度はシーズンに訪れたいと思いながら果たせないでいた。そろそろ体力的に不安な歳である。一念発起、かの地へ向かうことにした。
決心はしたものの、日程はなかなか決まらなかった。9月下旬から10月上旬にかけて、毎週のように台風が来襲したためである。長期気象予報と紅葉に最適な時期を見定め、日程を確定させたのは、旅立つ前日だった。
10月8日(火)に出発、松本に宿泊。広島を出てその日のうちに横尾まで足を延ばさなかったのは、横尾山荘が満室だったからだった。とりあえず松本市内に宿を取り、翌9日(水)早朝に上高地に向かい、そのまま涸沢まで登り切ることにした。コースタイムで正味6時間は、歳からすれば冒険ではあった。
気象予報で確認していたが、上高地に着いたころ、空は見事に晴れていた。涸沢に滞在する9、10の両日は絶好の晴れ間が広がるはずだ。
横尾には午前10時過ぎに着いた。いいペースだった。昼飯のカレーライスをとり、涸沢へ向かった。しかし、本谷橋から先は本格的な山道になる。途端に足が重くなった。でも、いくら何でも夕方までには着くだろう。気楽に構えた。走るように軽快に登る人もいれば、鈍牛のごとき足運びの人(私のことである)もいる。途中、目を上げると、はるか先に白く輝くカールと黒い岩稜、そして錦繍の一端が望めた。
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(下) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(下)
夏も終わりに近い。花は期待していなかった。予想通り、目を見張るほどのものはなかった。強いてあげれば、ウメバチソウぐらいか。弓折岳分岐から双六小屋に向かう縦走路のそばに咲いていた。カメラを構えていると、道が狭いため後続の二人連れが待っていてくれた。アカモノ(イワハゼ)は双六岳山頂へ向かう途中だったと記憶する。
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(中) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(中)
急登を登り切り、特徴的な台形状の山容にわずかに残る踏み跡をたどった。ガスの中から岩に囲まれ城塞のようなたたずまいの山頂が現れた。
8月27日、双六岳。あいにく山頂周辺はガスに包まれていた。それでも、しばらく待った。ここから見る槍ヶ岳は、北アルプス随一の美しさである。双六の「鈍」な山容と、槍の「鋭」な山容とがコントラストを描く。30分は待っただろう。双六小屋方面だけでなく、黒部五郎小屋や三俣山荘から、次々と登ってくる。「あら、真っ白ね」という声も聞こえる。雪ではない、ガスのことである。
あきらめて下山にかかった。山頂のすぐ下、双六の台形状の地形が広がるあたりでガスが切れ始めた。足を止めて待ったが、槍を取り巻く白い緞帳が上がることはなかった。
長期予報では、翌日から数日雨だという。自宅を出た時に比べ、天候は下り坂のようだ。迷いに迷ったが、結局降りることに決めた。だが、このまま降りるのも後ろ髪を引かれる思いである。双六小屋で整えたザックを背負い、鏡平小屋に途中下車を決め込んだ。今日の夕か、明日の朝か、もう一度槍を見ることはできないか。わずかな期待を胸に秘めてのことだった。
夕刻迫るころ、小屋の外が騒がしくなった。何事だろうと窓の外を眺めると、あたりを包んでいたガスが切れていた。槍から穂高への山並みがくっきりと浮かんでいた。カメラを手に、鏡池に向かった。すでにそこは人であふれていた。
翌日、小池新道を下った。終日雨だった。
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(上) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳を見にいく(上)
遠雷がなっている。登山道わきに腰かけた女性が不安そうな目で語りかけた。稜線じゃないので大丈夫でしょう、と答えた。大きなザック。キャンプをするのだという。
小池新道。8月25日早朝に自宅を出、わさび平小屋に泊まった。台風が相次いで来襲する中、タイミングを見計らったつもりだった。しかし東シナ海に低気圧が居座り、長い雨雲が北陸から北アルプス方面に向け伸びていた。この雨雲が北上したり、南下したりするたび、天候の激変が予想された。どこまで行けるか、確信はなかった。不安を見透かすように、わさび平小屋では夜半、豪雨がトタン屋根を打ち、その音にたびたび目を覚まされた。
鏡平までの小池新道を登るのは、記憶をたどると11年ぶりだった。台風の通過直後で26日も南風が吹き込み、蒸し暑かった。それよりも、この11年で失った体力の大きさが恨めしかった。小池新道は昔のそれとは全く違う表情で、目の前にあった。
鏡平に着いたのは正午に近いころだった。鏡池で一息つく。目の前の槍・穂高連峰はガスの中だった。それでも、と思い、昼飯の準備に取り掛かった。間もなく、ステージの緞帳が上がるようにガスが切れ始めた。まるで、この老いぼれが着くのを待っていたかのようだった。
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(4)=完 [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(4)=完
ツマトリソウ
ヨツバノシオガマ
ウラジロタデ
キヌガサソウ
ハクサンチドリ
クルマユリ
ハクサンシャクナゲ
ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲの群生
ナナカマド
ギボウシ
クガイソウ
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(3) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(3)
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(2) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(2)
≪7月21・22日≫
剣御前小屋から新室堂乗越をへて奥大日岳へと向かう。今日の最終目的地は大日小屋である。なだらかな稜線を、花をめでながらルンルンで歩く…と思っていた。
この稜線の最高地点である奥大日岳までは、ほぼ予想通りであった。しかし、その先は険相の山道が続いた。鉄梯子を伝う急降下あり、絶壁上部のトラバースあり…。それでも、大きなピークを二つ越えれば、大日小屋の屋根が見え始めた。日が落ちれば、ランプの灯りが頼りという小さな小屋である。剣岳をシルエットにした朝焼けがきれいであった。はるかに白馬岳、五竜岳も確認できた。
最終日は大日小屋から4時間半、称名滝へと降下するばかりである。途中、大日平の草原地帯で一息つけたほかは、気が抜けない岩の道が続いた。
新室堂乗越から奥大日岳を望む。この辺りはなだらかな山道だ
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(1) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~立山・大日岳縦走(1)
≪7月19・20日≫
九州・中四国・近畿・東海で梅雨明け宣言が出た翌日、信濃大町から扇沢をへて黒部アルペンルートを使い室堂に入った。立山と大日岳を縦走するためである。
もう20年はたつはずだ。富山から室堂に入り五色原、スゴ乗越をへて薬師岳から三俣、双六を縦走したことがある。最後は西鎌から槍へと思ったが台風の急接近で新穂高に駆け下りた。しかし、もうそんなことはできない。年相応のルート選択となった。
梅雨明け宣言が出たばかりとあって、快晴のもと室堂山荘を出た。一の越の小屋からは表銀座、裏銀座、槍穂高、笠岳、黒部五郎、薬師が望めた。空はあくまで青い。ここには何度か訪れたが、これほどの眺望は記憶にない。
さて、と雄山への登山路に踏み出したが、足が前に出ない。あえぎながら岩稜を登り切れば1時間はとうに過ぎていた。日頃の鍛錬不足が身に染みる。一息ついて山頂の神社を訪れた。神主さんが待ち構えていた。
大汝山までは、岩稜だが急登はない。山頂の大岩に取り付いて振り返れば、槍穂高から薬師岳までの稜線が一段とよく見えた。目を転じれば真砂岳、内蔵助カール越しに別山と剣岳。立山の最後のピーク富士ノ折立から急斜面を下りれば、雪渓と砂地のなだらかな稜線が続く。このころになると、あたりをガスが包み始めた。この先は別山の頂からの剣岳が目当てである。焦り半分、別山への最後の登りに取り付いた。
山頂には小さな祠があった。薬師岳にもこうした祠があったと記憶する。実際の山頂はここから10分ほど北東へ移動したあたり。地図で見ると、標高が6㍍ほど違っていた。頂に着いたころ、剣岳はガスに包まれていた。ガスが切れるのを待ち、山頂付近がわずかに姿を現したところを狙ってシャッターを切った。
さらに30分ほど歩いて剣御前小屋。本日の宿泊地である。美しい夕日に見とれた。
中央付近に富士山、右は南アルプス、左は八が岳
右が鹿島槍、その左が五竜岳。手前の稜線のすぐ右に白馬が見える
右端が薬師岳。左へ黒部五郎、笠が岳。槍・穂高は雲がかかっている
真砂岳への稜線と剣岳
真砂岳へ
剣を包むガスが一瞬切れた
剣御前から、剣岳を望む
剣御前から、沈む夕日を望む
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(完) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(完)
蓮華岳のコマクサ
7月29日、針ノ木の雪渓を下る前に蓮華岳のコマクサを見にいった。急登を30分ほど我慢すると緩やかなザレ場に出る。しばらく行くと、早くもコマクサの群生に出会った。しかし、残念なことに時期が少し遅かったようだ。花弁が枯れかかったものもある。そんな中に一輪、シロバナコマクサを見つけた。山頂までの緩い登り、コマクサの可憐な姿に飽きることはなかった。
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(5) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(5)
稜線の花(下)
クルマユリ |
シナノキンバイ |
チングルマ |
ヨツバノシオガマ |
トウヤクリンドウ |
イワオウギ |
イワギキョウ |
タカネシオガマ |
チングルマ |
チングルマ |
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(4) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(4)
稜線の花(上)
種池山荘から新越山荘までは、ほぼ緩やかな稜線だった。それだけ、高山植物が目についた。歩きに若干の余裕ができたことも、影響しているかもしれない。期待したシラネアオイは少し遅かった。おまけに前夜の雨で、たった一輪みつけたそれも、花弁は打ちひしがれていた。しかし、あふれる花々に、自然とピッチは上がっていった。
ミヤマキンポウゲ |
カラマツソウ |
サンカヨウ |
キヌガサソウ |
ハハコグサ |
ハクサンフウロ |
ナナカマド |
イワカガミ |
アオノツガザクラ |
コバイケイソウ |
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(3) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(3)
雪渓を下る
7月29日。蓮華岳を往復する。目当てはコマクサの群落である。「蓮華」といえば三俣蓮華岳が知られる。3県にまたがり、どっしりとした山容からその名がついたと言われる。この蓮華岳もまた、どっしりとしたかたちをなす。だから、取りつきは急だがしばらく我慢するとなだらかなザレ場が広がる。薬師岳を小さくしたような山容である。
コマクサを堪能した頃、ガスが出て風が強まった。ひたすら、下山を急ぐ。きょうは雪渓を下り、扇沢まで出て帰宅しなければならない。
雪渓上部にはつづら折りの夏道がつけられていた。下るにはいいが、登りで最後の最後に、この急登はきつい。渓の下部には大量の雪があり、アイゼンをつけて下った。再び夏道に出るまで小1時間はかかったであろうか。このあたりになると、高山の冷気はどこかに吹き飛んで再び熱風が体を包んだ。
針ノ木小屋直下の雪渓。左側に夏道がある |
針ノ木小屋と針ノ木岳 |
さよなら針ノ木小屋 |
雪渓くだりに小一時間かかった |
蓮華岳で見つけたライチョウ |
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(2) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(2)
縦走路(下)
7月28日。早朝、青空とガスが交錯する中を発った。鳴沢岳(2641㍍)までの緩い登りは、ほぼガスの中だった。1時間ほどで鳴沢の山頂。とたんにガスが切れた。スバリ岳、針ノ木岳へと向かう縦走路がはっきり見える。針ノ木雪渓上部に建つ小屋さえ、肉眼で確認することができる。しかし、針ノ木の頂だけは雲に覆われたままだった。目を転じれば、眼下の黒部湖とその向こうに立山、剣が見える。わずかな雲の切れ間に、それらは屹立していた。
赤沢岳(2677㍍)からスバリ岳(2752㍍)へと向かう。一風変わったその名の由来を知らないが、山容は険悪である。もろそうな岩壁が天を指し、わずかなガリー状の隙間に、巧妙にルートがつけられている。スバリ岳山頂は、屏風のように立つ岩壁の裏側にある。おそらく、この縦走路で最も剣呑なのはこのあたりであろう。ここを乗っ越せば、後は針ノ木(2820㍍)を目指すばかりである。
針ノ木の頂には先客がいた。針ノ木小屋から登ってきたという。山頂の標識より少し小高い岩の上に三角点はあり、先客はそこにいた。山頂の東を望めば、どっしりとした蓮華岳(2798㍍)が座る。ここから針ノ木小屋までは、下るばかりである。
赤沢岳あたりから見た立山連峰。これだけ見えたのはほんの一瞬だった |
同じく剣の山頂 |
赤沢岳山頂から立山を望む |
はるか眼下に黒部湖 |
スバリ岳中腹から赤沢岳と縦走路を望む |
針ノ木岳への最後の登り |
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(1) [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~針ノ木・蓮華岳(1)
縦走路(上)
梅雨明けである。しかし、太平洋高気圧は心もとなく、日本海へ抜けた台風の尻尾を押しのけてくれない。不安定な空を眺めながらの山行となった。信濃大町から扇沢に入り、柏原新道を登る。種池から後立山の稜線を南に向かい、スバリ岳、針ノ木岳を目指す。
7月27日、信濃大町に入り、宿をとった。翌早朝、タクシーで柏原新道の入り口に。午前7時には歩き始めた。しかし、台風余波で南から流れ込む風のせいであろうか、蒸し暑い。20分もたてば額から滝のように汗がしたたる。
単調な登りである。加えてガスで周りは見えない。足取りは重くなる。種池山荘に着いたのは、予定より1時間余りも遅れてのことだった。昼食は山荘のカレーライス。レトルトだが、空腹の身には程よい辛さがしみわたる。
種池は3年ぶりである。前回はここから鹿島槍を目指した。五龍から鹿島槍を越え、種池を経由して針ノ木へ縦走したのは、数えてみれば15年前のことだった。新越山荘前でレインウエアを着こんだと記憶する。そのときは以来、ずっと雨中だった。周りの山々などまったく見ていない。眼下の黒部湖も知らない。
昼食を終え、緩い登りを岩小屋岳(2630㍍)へと向かった。種池から新越山荘まではなだらかな縦走路のはずだ。周りの景色は知らずとも、山路の傾斜は足が覚えている。しかし、岩小屋岳がどんな山だったか全く記憶がない。その謎はやがて解けた。縦走路が少し登りになったころ、突然に黄色い標識が現れた。山頂と呼ぶべきか、迷うほど特徴のない頂だった。
新越山荘は小ぢんまりとした小屋である。人も少ない。種池を経由する登山者の多くは鹿島槍か、その先の五龍を目指すからだ。しかし、このコースはいま、花ざかりであった。それは、別の回で紹介しよう。
7月29日、鳴沢岳から針ノ木岳を望む。山頂は雲の中だった |
7月28日、種池を過ぎたあたり、チングルマと残雪。景色はガスの向こう |
7月28日、柏原新道に入って1時間余りでケルンに到達。とにかく暑い |
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪4≫ [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪4≫
山小屋の屋根を激しく叩く雨音で目が覚めた。それが夜半だったか、夜明け前であったか、判然としないまま、再び寝入ってしまった。
28日朝。ひたすら下山の日。槍穂の稜線を眺めておこうと鏡池でしばらく過ごしたが、結局ガスは切れなかった。ガスというより、重ぐるしい雨雲が穂高連峰から槍ヶ岳にかけて覆っていた。とっくに日は昇っていた。あきらめるしかないか―。
思えば今度の山行では、カメラを水平より上に上げることがほとんどなかった。したがって、重い200㍉の望遠レンズは、ザックに入ったままだった。唯一とりだして撮影したのが、この槍穂キレットの写真である。
花の写真はたくさん撮った。キヌガサソウ、ミヤマオダマキ、コバイケイソウ…。こんなことならマクロを持ってくればよかったな。
北穂は終始、雲の中だった。かろうじて大キレットが雲の下にいた |
キヌガサソウは集団で咲いていた |
ショウジョウバカマが今頃咲いていた |
ソバナ |
ミヤマオダマキ |
<おわり>
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪3≫ [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪3≫
7月27日。今日の槍ヶ岳は不機嫌そのものだ。朝から何も見えない。すべては白いベールの向こうだ。本日の行程は、西鎌を下って双六から鏡平。晴天なら眺望の素晴らしいコースだ。しかし、この天候では…。
西鎌を下りながら、それでも未練がましく後ろを振り返る。事態の好転は望み薄、と思ったとたん、またも自然の気まぐれだ。流れるガスのその上に、槍ヶ岳山頂の鋭角が顔をのぞかせた。しかし、双六の手前にある樅沢岳の、それにしてもなんと遠いこと。我は、昔の我ならず。
双六山荘で昼飯を食い、弓折岳へ向かう頃、本格的な雨に降られてしまった。弓折の分岐を過ぎ、先を急ぐ。
「今年はコバイケイソウの当たり年らしいよ」と鏡平小屋の手前ですれ違った男性。そういえば、西鎌や双六のあちこちでコバイケイソウの群生がめだった。一本一本は地味な花だが、これだけ数があると存在感は並みでない。今年は雪渓が大きいせいか、他の高山植物も元気だ。その話は次回。
槍ヶ岳の頂上直下 |
西鎌を縦走していると、時折槍の頂上が顔を出す |
コバイケイソウ咲く西鎌尾根 |
ヨツバノシオガマと、白いのはヤマハハコ…かな? |
イワギキョウと北鎌尾根 |
コバイケイソウの向こうに鏡平と西鎌 |
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪2≫ [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪2≫
槍沢ロッジまでの道のりは、曇りと晴れが交互にやってくる忙しい天候だった。そして、ロッジ手前では雨に降られてしまった。
翌7月26日朝。空は持ちそうだが、ガスがかかっている。槍沢を詰める間、槍の穂先は拝めるだろうか。歩きはじめたころ、気温16度。
ババ平を過ぎて、雪渓が現れた。今年は大きいようだ。冬の雪の深さを想う。大曲までもうすぐ。高度があがるにつれ、ガレ場が広がる。シャクナゲが小さな花を咲かせている。槍の穂先はガスの中。
と思ったとたん、ガスが切れて青空が広がった。しかし一瞬のこと。こんなこともあるのだ。以前にこの沢を詰めた時は終日雨の中だった。そんな中、ひとときだけ、槍が顔をのぞかせた。「あすもあさってもある」と思った私はカメラを取り出さなかった。それが、失敗だった。
今度は、しっかりシャッターを切った。「これきりかもしれない」という思いで。幸か不幸か、その判断はあたってしまう。
肩の小屋についたころ、槍ヶ岳は神秘の向こうにいた。頂上を踏んだけれども、周囲はすべて白いガスだった。
槍が見えた。一瞬のことだった |
シャクナゲと雪渓と…槍はこのときガスの中 |
雪渓とヤマザクラ。春と夏とが混在する |
サンカヨウ。登山路のそばに咲いていた |
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪1≫ [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍ヶ岳よ≪1≫
「それは悲しいまでにひとり天をさしている」と書いたのは、深田久弥である。
槍ヶ岳。北アを歩くと、その存在がいつも気になる。視界に入れば「あっ槍ヶ岳だ」と思ってしまう。歌人の窪田空穂はその姿を「奇怪」と形容したが、「孤高」という言葉を触媒にしてみれば「悲しみ」と「奇怪」にそれほどの落差があるわけではない。なにものにも交わらぬ孤高は、見る者の心情によって悲しみでもあり、奇怪でもある、といえる。
4度目の槍ヶ岳登頂を試みた。1度目は槍沢。2度目は東鎌。3度目は西鎌。そして槍沢。初心に戻ってといえば聞こえはいいが、もう他のルートを登り切る気力も体力も失せてしまった、というのが正直なところだろう。
7月25日、河童橋から見上げた穂高はガスに包まれていた。気のせいか、河童橋まで陰鬱な表情に見えた。きょうは槍沢ロッジまで歩かねばならない。空よ、夕刻まで不機嫌な表情は見せないでくれ。
河童橋。穂高はガスの中だった |
ショウキランというらしい。上高地から横尾への道で見つけ、覗き込んでいると、通りがかった登山者が教えてくれた |
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<下> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<下>
種池方面から鹿島槍に登るには、爺ケ岳を縦走した後、いったん冷池乗越に下りて赤岩尾根を右にやり過ごし、登り返す。わずかな登りで冷池小屋前の広場に着き、もうしばらく我慢するとテン場があり、テントの花が咲いている。そこを過ぎると山麓をトラバースするように山道が付けてある。道はやがて、山頂への登りに転じる。
爺ケ岳には南、中、北の三つのピークがあり、いずれも鹿島槍を眺める絶好のポイントだが、特に北峰が鹿島槍に最も近いという点で眺望に優れている。知られているように鹿島槍は双耳峰である。しかし、左右対称ではなく、南峰(写真でいえば左側)が北峰より大きい。したがってその間をつなぐ吊尾根もやや傾いている。対称の息苦しさを避けた、非対称の「粋」のようなものがある。言ってみればフランスの庭園ではなく、雪舟の庭園、龍安寺の石庭の「妙」のようなものがある。この点、深田久弥の「日本百名山」も同じことに言及している。
この日(9月16日)は、台風が接近していたが絶好の青空であった。種池-爺ケ岳の側から見ると山麓は東南を向いているため、午前の光を浴びてまことに具合よく鹿島槍の「双耳峰の粋な美しさ」が望めた。しかし、はるかな麓からは早くもガスが登ってくるのが分かった。あとはあのガスと、我がおぼつかない足元のどちらが先に山頂にたどり着くかである。結果を言ってしまえば、残念ながら南峰からの北峰はわずか一瞬、その相貌を見せてくれただけだった。
深田久弥が絶賛した、鹿島槍の〝粋な〟 美しさ |
南峰にたどり着くと、北峰はすでにガスの中だった |
もうこの小屋に来ることもないだろうな… |
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<中> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<中>
爺ケ岳南峰に着いたのは、種池山荘を出て1時間足らずのことだった。空はすっきりと晴れあがっていたが、周囲の山裾には雲海がまとわりついていた。ただ、西北に見える剣岳だけは、全容を朝日にさらしていた。剣の手前の、あの深い切れ込みの底には黒部川があるはずだ。
ほぼ真南に目を転じると、鋭い穂先が天を指している。その左には大きな岩塊と、そしてもう一つの鋭角の山。槍ヶ岳と穂高連峰である。東南の方角にあるのは、右に南アルプス、左に八ヶ岳を従えた富士山。
見飽きることはなかったが、先を急がなければならない。
正面やや右に槍ヶ岳、その左に奥穂高岳、さらに左に前穂高岳 |
中央に富士山、右に南アルプス、左に八ヶ岳。南アルプスの北岳も判別できる |
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<上> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~鹿島槍へ<上>
窓の外に響く雨音で何度も目が覚めた。波のように遠ざかっては近づく。台風16号が列島に接近していた。幸い直撃は避けられそうだが、気圧の谷が日本海沖に前線を形成している。おかげでこの地域の天候はまだら模様だ。あすはどうなるか、まったく予想がつかない。
9月15日、信濃大町から扇沢に入った。柏原新道を登り、種池に宿を求めた。大町は晴れていたが、高度を上げるにつれガスが濃くなった。山荘に着くころには、周囲は雨にけぶっていた。心も足も重くなっていった。
そして、種池から爺ケ岳を越えて鹿島槍へと縦走をかける16日。空は見事に晴れ上がっていた。ところどころに、さっと刷毛でなでたような薄い雲。鳴沢岳から針の木岳への縦走路は、上がりきらぬ太陽に赤く染められていた。
朝焼けの針の木岳(中央左) |
爺ケ岳南峰から剣岳を望む |
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<4> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<4>
7月30日。きょうは下界へ戻らねばならない。この眺めとも、しばらくお別れである。しかし、それにしても天候がはっきりしない。ご来光は拝めたものの、流れるガスに赤くにじんでいる。双六小屋前に立つ人々も、なにか落ち着かないでいるのは、きょうの天候の先行きに一筋の不安を感じているためであろう。
午前5時過ぎ、出発した。さいわいガスは晴れて前方の笠ヶ岳、後方の鷲羽岳がよく見える。しばらくして弓折の分岐に至る手前、再びガスが濃くなった。考えてみれば、この山行で槍ヶ岳はついぞ姿を見せていない。このまま槍を見ないまま、山を下るのか。
そんな思いが通じたか、通じなかったか、突然槍穂方面のガスが晴れた。朝日はまだ低い位置にある。光の差す方角から雲海が西鎌尾根を越えて流れる。雲を従えて槍の穂先が、雲ひとつない蒼天に突き立つ。そうした風景を左に見ながら、縦走路をいく。
弓折の分岐を過ぎるころ、再び槍はガスの彼方に姿を消した。しかし、鏡平の小屋に近づくころ、再びガスは晴れた。登山者の心をもてあそぶかのような、自然のいたずらである。しかし、そのせいで下山一途の山歩きは退屈することなどなかった。 ≪おわり≫
朝日がガスににじんでいる |
ご来光を見る |
お世話になりました |
笠ヶ岳を望む。右端が頂上 |
雲海に浮かぶ槍が岳 |
ミヤマクロユリ |
クルマユリ |
キヌガサソウ |
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<3> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<3>
7月29日。黒部五郎小舎から三俣蓮華、双六岳を目指す。半日のコースである。しかしこの日の縦走路は終日、ガスの中だった。本来なら三俣から鷲羽岳や北鎌尾根、双六岳から西鎌尾根、笠ヶ岳がながめられて飽きないはずだが…。
それでも、と三俣、双六では頂上で1時間余りガスの切れるのを待ったが徒労に終わった。それぞれの頂上付近、ライチョウが出迎えてくれたのがせめてもの慰めだった。
双六から山荘への下山路、夏道は閉鎖されていて春道を通ることになっていた。例年にない残雪の多さのためである。
三俣から双六への縦走路。残雪の多さに驚かされる |
三俣蓮華から三俣山荘を眼下に |
ハクサンフウロ |
ヨツバノシオガマ |
ハクサンチドリ |
双六で出会ったライチョウ
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<2> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<2>
7月28日。夜明け前の薬師を眺める。山頂を、不吉な雲が流れる。気分がざわめく。しかし、根拠のない義務感のようなものに従って山小屋を出発した。遥かに見える黒部五郎にも、山頂付近にガスがかかっている。きょうの行程、黒部五郎小舎まで10.5㌔。
小さなこぶのような地点を過ぎると、北ノ俣が待っている。なだらかな山肌に残雪が散らばる。大きなザックを背負った若者が二人、追い越して行った。
山頂の手前、急登を登り終えると、ぽつぽつと降り出した。ルートの両側、ハクサンイチゲとチングルマの群落がかすむ。レインウェアを着こんだが、三日月状の残雪を従えた頂に近づくころ、青空が広がった。
北ノ俣を過ぎ、小さなアップダウンを繰り返すと、前方に黒部五郎岳が迫ってきた。そしてあの、急角度の尾根をほぼまっすぐにたどるルートも。
あえぎながら着いた山頂から、カール越しに山々がよく見えた。三俣蓮華、鷲羽岳、水晶岳。そして右手遥か下には黒部五郎小舎の赤い屋根が見える。
残雪とチングルマに彩られた北の俣 |
振りかえれば薬師岳。ここから見る薬師はなかなかいい |
黒部五郎頂上から鷲羽、水晶を望む。手前は雲ノ平 |
稜線で見つけたイワギキョウ
ハクサンイチゲ |
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<1> [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~黒部五郎から双六へ<1>
古い写真アルバムとネガファイルをめくって、やっと見つけた。そこには1994年とあった。40代のころだ。ついでに、当時の写真をながめる。険しい山容ばかりが、印画紙に焼き付けられている。そのころ、何を見ていたかが、よく分かる。
ふとしたことで、18年ぶりにその山、黒部五郎岳を訪れることにした。
富山側の折立から入る。7月27日。樹林帯の急登を数珠つなぎになって詰める。三角点を過ぎて、ようやく視界が開ける。薬師岳が座っている。どこが山頂だったかな? 眺めていると親切に教えてくれる人がいる。「あそこのくぼみに小屋が見えるでしょ。そこからちょっと登ったあたりが山頂」。あのへんだったかな。薬師に登ったのは黒部五郎の2年後だ。あやふやな記憶に戸惑う。
しかし、緩やかな草原が広がり始める。ほどなく鞍部の小屋が見える。初日の宿泊地、太郎平小屋である。
太郎平小屋に向かう木道 |
ニッコウキスゲ |
タテヤマリンドウ |
チングルマの群生 |
北アルプス幻視行~不帰キレットを行く [北アルプス幻視行]
白馬岳から唐松岳へ~不帰キレットを行く |
八方尾根から唐松岳を経て五竜岳、鹿島槍へと縦走したのは2000年の夏だった。尾根の右手に広がる白馬連峰は唐松に近づくにつれ、険悪な表情をしていた。「あそこをいつか渡ってみたい」。その夢をこの秋、実現することができた。
天狗の頭から唐松、五竜、鹿島槍を望む |
白馬鑓そばの天狗山荘を9月20日午前6時20分に出た。天狗の頭を越え、天狗の大下りに着いたのは7時すぎ。上部は鎖場が続き高度感がある。緊張しながら標高差300㍍を一気に下り、最低コルに7時55分着。左手に富士山がよく見える。その両側に南アルプスと八ヶ岳の山なみ。反対側には日本海が広がり、新潟らしい町並みも望める。快晴、微風。
不帰のキレットの険悪な表情 |
しばらく休憩して不帰Ⅰ峰山頂に8時40分着。やせた稜線を鞍部へと下り、いよいよ不帰Ⅱ峰だ。キレットの核心部ともいえる壁が待っている。
標高差は100㍍以上あるだろう。「どこをどう登るのか」。垂直の壁を見上げると不安にかられる。先行者に続いて鎖を持ち、日本海側へとトラバースする。上から下りてきた3人連れとぶつかり、鎖を持ったまま離合。緊張の瞬間だ。
しばらく行って、今度は信州側に折り返す。岩稜の溝状のルートを登り、やせた稜線を乗っ越すと細いが平らな道が現れた。この道に沿って岩峰を巻き、1㍍ほどの鉄ばしごを登って信州側を行くと鎖場。ここを慎重に越えると、やや広い山頂に着いた。不帰Ⅱ峰北峰の頂だ。Ⅰ峰から1時間弱。進行方向には不帰Ⅱ峰南峰と、その向こうに唐松岳が見える。
キレットの核心部、Ⅱ峰北峰の壁 |
八方や五竜岳方面から見ると平坦な唐松岳の山肌が、キレット方向から見ると極めて陰惨だ。だが危険なルートはⅡ峰まで。とがったⅢ峰も頂上を巻くようにルートが付けられ、ここから唐松の頂へは、壁の縁の平らな稜線を行く。11時すぎ、唐松岳の頂上着。天狗小屋を出てちょうど5時間だ。かなりスローペースの縦走だったが、コースタイム内に収まった。
頂上は快晴。剣岳がすばらしい表情を見せていた。
天狗小屋までは19日朝から白馬の雪渓を詰め、白馬三山を縦走。夕刻に天狗小屋に入った。雲海に剣岳や立山、槍が岳、穂高連峰が浮かんでいた。幸いにも全日程、快晴に恵まれた。
北アルプス幻視行~穂高巡礼 [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~穂高巡礼 |
井上靖の初期の作品に「比良のシャクナゲ」というのがある。昭和25年の作というから、もう50年以上も前のものだ。読んだのは30年以上も前だったか。日常的な生活にわずらわしさを覚え、学問にのみ情熱を燃やす老学者の孤独な心情をつづった小品だ。
80歳を前に過去を振り返る学者の心に比良山系のたたずまいが鮮烈にかぶさって、いい味を出している。「闘牛」で芥川賞をとった直後、4作目にあたる。なぜかこの作品、山に登る話として頭に残っていた。最近読み直してみて、それが違うことに気がついた。
「神々しいまでに美しいはろばろとした稜線」に見とれ、「あの山巓の香り高い石南花の群落の傍で眠ることができたら」と願いながら「一度登ってみるべきだったな」と述懐し「今となってはもう駄目だ。あの高山の頂に登ることは所詮不可能というものじゃ」と老いの現実を見つめる。
なぜ勘違いしたのだろう。新潮文庫の短編集では「猟銃」「闘牛」とともにこの作品が収められている。「猟銃」もまた中年男性の孤独がテーマで、猟銃を背にした男性が山に入る場面が象徴的に描かれている。どうもこのシーンが、時を経て老学者の山行にと記憶の化学変化を起こしたらしい。
涸沢秋天(2008年9月) |
では記憶の変化をもたらした触媒は何だったか。それは井上靖の初期作品群に漂う「山の香気」であったように思われてならない。山の描写に漂う香気が、二つの作品を融合させてしまったのだ。その筆致とは、例えば「比良の―」ではこんな感じだ。
「行手には叡山が見え、そのはるか向うに、全山真白くおおわれた連峰が、目の前にさめるような美しさでそそり立っていた。疎林に覆われた嵯峨の山々のなだらかな曲線を見てきたわしの目には、それは殆ど同じ山とは思われぬ厳しい峻厳な美しさで映った」
比良山系に対するこの見事な描写をそのままあてはめていい山域が、それぞれの心の中にあるのではないか。北岳の哲学的な横顔もいい。槍が岳の、他に染まらぬ強烈な個性も悪くない。剣岳の峻烈もいい。だが私にとってのそれは、おそらく穂高の秀峰になるのではないか。
最初に穂高に登ったのは、もう30年近くも前のことになる。30代の前半だった。上高地から見た山頂にいつかは登ってみたいと思ったのだ。「比良のシャクナゲ」の三池俊太郎のように。このときは1年かけて準備した。それまでほとんど山など登ったことなどないのに、無謀なことだった。横尾から回り込み、山道をつめてその先、涸沢と黒々とした穂高の壁が視界に入ってきたときの感動を忘れたことはない。
ガスが流れるジャンダルム(2008年9月) |
2回目の穂高は2002年の夏だった。燕岳から表銀座を歩いて東鎌尾根を登り、槍が岳を経てキレットを渡り、北穂から奥穂へと向かった。天候にも恵まれた。西岳付近の縦走路からの穂高は、真夏の交響曲でも聞いているかのように重厚だった。北穂から見た、槍の肩を越えていく雲。吊尾根の先にある、前穂の厳しい稜線が描き出すスカイライン。それぞれの山々が、今でも鮮やかに脳裏によみがえってくる。
その翌年には、奥穂から西穂へのルートを歩いて「穂高巡礼」を完成させる試みを企てた。だが悪天のため、断念せざるを得なかった。今でも「見果てぬ夢」である。
2008年には10人余りのグループで穂高を訪れた。北アルプスはほとんど単独行だったが、これもまた一つの楽しみ、と知った山行であった。
穂高は「秀でて高い山」すなわち「秀高」が転じたともいわれる。その名のごとき穂高がある限り、巡礼は終わることはないのだろう。
北アルプス幻視行~槍・穂高の裏庭で遊ぶ [北アルプス幻視行]
北アルプス幻視行~槍・穂高の裏庭で遊ぶ |
ある山の頂上で飯を食っていると、隣にいた人と山行談義になった。こんなときはなんとなく気心が知れてしまうものである。今年の夏、北アルプスに行ったのだという。笠新道を登り、双六から黒部五郎へ。聞いていると2年前、暑い盛りの笠新道を撤退した苦い記憶が、突然よみがえってきたのだった。以下はそのとき書き留めた記録である。
槍・穂高の裏庭で遊ぶ(2007・8・11~8・15) |
11日朝、広島を出て名古屋、高山から新穂高へ。1時間ほど歩き、わさび平小屋に着く。風呂で体をさっぱりさせ英気を養う。
12日午前6時すぎ、小屋から少し下り笠新道に取り付く。足を踏み出したとたん、背後で声。「お、笠新道を登る? 頑張ってね」。振り返ると見知らぬ登山者。そうなのだ。ここは名うての登山道。地図には樹林帯を抜けるだけで4時間とある。
今回の山行、当初は、笠新道を登って笠が岳山頂直下の小屋に入り、翌日、双六を経て三俣、さらに鷲羽、水晶岳に向かうコースを考えていた。
ブナ林の中、ジグザグの登りが続く。2時間余りたって、林が切れ始めた。とたんに槍、穂高上空から背中に降り注ぐ朝日の強烈さが気になり始めた。暑い。後で知ったのだが、この日から1週間、列島は記録的な猛暑に見舞われる。
そのうち、日差しにさらされっぱなしになった。標高2,000㍍はとうに過ぎたのに手元の温度計は27・5度。体温が下がらない。登りきれるだろうか…。熱射病も怖い。考えた末、無理を避けて、わさび平に引き返した。
さて、どうするか。小屋で昼飯を食いながら考えた。これからたどり着けるのは鏡平小屋しかない。あらためて出発したものの、午後の日盛りを4時間、巨岩が転がる沢を詰めるのも消耗戦だった。照り返しがきつい。
鏡平は槍、穂高の眺望の良さで知られる。13日早朝、小屋近くの展望台へ日の出を見に行った。午前5時50分すぎ、西鎌尾根から昇る朝日を池越しにしばらく眺めた。 ここから弓折乗越まで急登1時間。トリカブトの青い花が咲いていた。登りきって一息つけば目の前に槍、穂高連峰が広がる。
双六小屋と鷲羽岳 |
乗越から双六小屋までは楽しい稜線歩きだ。右手に槍と穂高、左手に双六岳の特徴ある丸い形。正面には鷲羽岳と水晶岳がどっかりと腰をすえる。足元には高山植物が可憐な花を咲かせる。
鏡平を出て2時間もすれば双六小屋。ここから1時間半で頂上に立てる。平らな山容の双六岳。槍ヶ岳の鋭角的な山頂とのこぎり歯のような北鎌尾根が鮮やかな対比を見せる。西鎌尾根も雄大だ。絶妙の造形美とバランス。北アルプスでも有数の景観が広がる。ここへは4度目だが、何度見てもあきることがない。
双六岳から見る槍が岳 |
双六から三俣蓮華へ、緩いアップダウンの稜線を行く。正面に鷲羽と水晶。三俣小屋に荷物を置き、やや遅い昼食。午後2時すぎ、一息ついて鷲羽へピストンをかけた。登り1時間半。山頂付近はガスに包まれていた。足元に鷲羽大池は見えるが目当ての槍はかすんだままだ。カメラの三脚を立て、待つこと30分。一瞬だがガスが切れた。北鎌の絶壁に夕日が差し込む。壮絶な光景だ。
三俣蓮華㊧と鷲羽岳 |
14日午前6時、三俣小屋を出発。稜線の道は使わず中腹を巻く。2時間半で双六小屋。ここで朝食とする。カレーライスを詰め込んだ。 笠が岳を目指す。弓折乗越を過ぎると、いきなり急降下。はしごもある。降りきったところが大ノマ乗越だ。一転して急登の連続。緩い稜線歩きを予想していたので意外な展開だ。登っても登っても急登。暑い。時たま沢からひんやりとしたガスが昇るとほっとする。
弓折乗越から3時間で、笠新道との合流地点へ出た。地図ではここから1時間で笠の小屋とある。なだらかな山肌に道が続く。あともう少し…。ガスが濃くなった。1時間ほどして切れたガスの向こう、はるか上に笠の小屋。「うそだろう」。思わずつぶやく。小屋の直下はガレ場が続く。足が上がらない。小屋に着くと思わず座り込んでしまった。
双六岳から見た笠が岳 |
翌15日は快晴。苦しんだだけのことはあった。槍と穂高が朝焼けに浮かぶ。その左側に北アルプスの山々。鷲羽も水晶も、双六も水晶も静かにたたずむ。黒部五郎は、カールがひときわ美しい。反対方向には木曽御岳と乗鞍が絶妙の配置で並ぶ。さらに南アルプスと富士山。北の白山方面に広がる雲海には、笠の影がきれいな三角形を描いて浮かんでいた。「笠が岳」の名前の由来が分かる。独立峰だけに眺めはすばらしい。午前5時すぎ、槍の肩から昇る朝日をカメラに収め山頂を後にした。
小屋を6時時半に出発、下りは笠新道を使った。新穂高着午後零時半。うち、新道の下り約3時間半だった。
新道を下ってみて、ほぼ全容が分かった。上部は杓子平と呼ばれる高原地帯。高山植物も咲き、風も渡って歩きやすい。そこを過ぎると樹林帯に入る。とたんに風がやむ。じりじりと日差しもきつい。標高も下がるので気温も上がる。ちなみに新道の登り口は標高1,300㍍ぐらい。
この道を真夏に登りきるには、暑さ対策が欠かせない。下っているときも暑さでばてた人たちをかなり見かけた。午前10時を過ぎて樹林帯を抜けていなければ笠の小屋にたどり着くのはかなり困難、とみた。
ではどうするか。できるだけ早く小屋を出ることだ。午前4時、できれば3時には出発したい。杓子平まで5時間と見て、8時には着きたい。杓子平から1時間半で分岐点。そこから2時間で笠の小屋。機会があればリベンジを実現したい。