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超人がいて、幽霊や河童が呼んでいた~山の図書館 [山の図書館・映画館]

超人がいて、幽霊や河童が呼んでいた~山の図書館

 

「定本 黒部の山賊 アルプスの怪」(伊藤正一著)

 

 昭和20年代から30年代にかけての北アルプスはどんな様子だったか。山賊話アリ、怪談話アリ。痛快無比、驚天動地のエピソードを満載した1冊。著者は終戦直後に三俣山荘(当時は三俣蓮華小屋)、水晶小屋を譲り受け、後に雲ノ平小屋を建設するなど、黒部源流一帯の縦走ルート整備に力を尽くした伝説の人。「黒部の山賊」は昭和30年代に出版され、名著とされていたが読む機会を得ぬままだった。たまたま読んだ「黒部源流山小屋暮らし」で著者のやまとけいこさんが触れたことに加え、この春に文庫本化されたこともあって、手にした。

 予想にたがわぬ面白さである。黒部源流一帯に山賊が出るとのうわさが流れる中、三俣、水晶の小屋を譲り受けた伊藤氏。終戦直後である。食糧難から、食いはぐれた男たちが山小屋で学生たちを撲殺するという物騒な事件も起きた。最初は一般の登山客を装い、壊れかけた小屋に泊まった伊藤氏は小屋代を払って引き揚げた。こうして「山賊」との接触に成功し、彼らを取り巻く風評を一つ一つつぶしていった。登山ブームが来る前から、一帯でカモシカやクマを獲って生計を立てる猟師だったのである。生涯にカモシカ1000頭、クマ100頭を獲ったもの、普通の人間の4日分の距離を1日で歩くもの…。彼らは山小屋経営に欠かせぬ力となった。

 雲ノ平の高天原一帯はかつて金が出ると噂されたという。後にモリブデン鉱に変わり、戦時中は鉱山と宿舎が存在した。この話は、前掲「黒部源流山小屋暮らし」にも出てくる。この時の作業員宿舎が、現在の高天原山荘だという。伊藤氏が三俣、水晶に小屋を再建する直前のことである。いずれにせよ、この一帯は山師たちがのし歩いた時期もあったのだ。信じられないことだが。

 闇の向こうから「オーイ」と呼ぶ声が聞こえ「オーイ」と答えるとなぜか吸い寄せられたという。「ヤッホー」と答えれば、声はやむのだそうだ。そうした怪談話に、数々の痛ましい遭難話。冬の薬師岳での愛知大生13人遭難事故については、薬師の広い尾根と、沢へと引き込むような独特の地形が関係しているとの緻密な考察がなされ、読ませる。黒部源流で河童が出るとのうわさについては、当時絶滅の危機に瀕していたカワウソではないか、と科学的な見地を紹介して「なるほど」と思わせる。

 ゴアテックスもなく、まともな防水装備などなかった時代である。ひとたび雨が降れば悲惨な遭難が多発した。そんな時代に常人など及ばぬ足の速さを持つ人々がおり、金脈の発掘を夢見た人々がいた。防水、軽量化が進んだ装備で歩くのもいいが、幽霊におびえ、河童の「足跡」に驚いた数十年前に思いをはせれば、北アルプスの山々の表情も違って見えるかもしれない。

 880円(税別)、山と渓谷社。


ヤマケイ文庫 定本 黒部の山賊

ヤマケイ文庫 定本 黒部の山賊

  • 作者: 伊藤 正一
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2019/02/14
  • メディア: 文庫

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中国山地幻視行~セミの声を聞く・大峰山 [中国山地幻視行]

中国山地幻視行~セミの声を聞く・大峰山

 

 遠くで蜩が鳴いていた。セミの声を聞くのは、この夏初めてだ。

 726日、大峰山。梅雨が明けた。カラリとした夏空の下、山に登りたいと思い、来た。しかし、状況は違っていた。どんよりと雲が垂れ込め、むしむしと湿度は高かった。汗まみれで、急坂を上った。尾根の向こうで遠雷が鳴った。

 稜線に出ると、風が吹いてきた。人心地ついた気分だった。ここまで来ると、遠雷と思ったものが別のものと気が付いた。低空飛行のジェット機の騒音のようだ。近くの岩国基地から飛び立ったのだろう。

 山頂の大岩から、広島湾は望めなかった。湿気が多く、遠方がもやっていたためである。直下の村落さえ霞んでいた。周辺の山々も、霞の彼方だった。

 待ち望んだ日が差したのは、登山口近くまで下りてきてであった。



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山頂から。見るからに蒸し暑そうだ

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雲は夏のかたちをしていた

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麓の村落も霞んでいた

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この山には、何度来たことか

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上方の岩が山頂

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下山路も終わりにかかるころ、夏らしい日差しが

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中国山地幻視行~白木山・夏服を着たお地蔵さん [中国山地幻視行]

中国山地幻視行~白木山・夏服を着たお地蔵さん

 

 梅雨の晴れ間である。7月12日、これはどこかに行かねばと白木山に車を走らせた。遅い時間帯ではなかったが、ふもとの道路端は車でいっぱいだった。世の中には同じ思いの人たちがそれなりいるようだ。

 晴れているとはいえ、梅雨の季節である。樹林の山道は湿気が立ち込め、気温は朝から30度近くを指していた。額から汗が流れ落ち、へろへろになって登っていると、後ろからひたひたと足音が聞こえ「まだ4合目よ、がんばらにゃあ」と声をかけられ、あっという間に追い越された。とたんに気力はなえ、ひと休みを決め込んだ。

 予想にたがわず、山頂は平日というのに満員状態だった。湿気のせいか、山頂からの遠望は今一つ。広島湾の島々が辛うじて見える程度だった。目を転じると、山頂広場の端っこに赤い花が見えた。近くで見ると、花ではなく葉が赤く染まっていた。アカメだろうか。平地の庭先や民家の生垣に植えてある、あれだ。こんな山頂(といっても1000㍍に届かないが)に自然に生えたのだろうか。それとも誰かが植えたのだろうか。途中の山道といい山頂広場といい、手入れの行き届いた山である。誰かが植えた可能性は否定できない。

 この山は、途中の地蔵さんを眺めるのが楽しみである。どれもが個性的な表情で、泣いているようにも笑っているようにも見える。それらが周囲の自然に溶け込んでいる。冬は赤い厚手の服を着ているが、今は赤い水玉の夏服である。それらをカメラに収めていると、つい時間が立ってしまう。登山口まで帰りつくと日はとっくに傾き、朝方あれほどいた車は数えるほどになっていた。



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誰かが植えたのか、アカメ

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広島湾と厳島が辛うじて見える

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登山口付近。流れるのは三篠川

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山頂付近は整備されている

≪夏服を着たお地蔵さん≫

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