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自然との一体化を目指す~山の図書館 [山の図書館・映画館]

自然との一体化を目指す~山の図書館


「俺は沢ヤだ!」(成瀬陽一著)


 ひたすら高みへ。あるいは困難な壁へ。こうした挑戦に向けた情熱、モチベーションのありようは理解できないことはない。しかし、谷底を這い冷水を浴び、滝をよじ登る「沢登り」という行為は、我々凡人には理解が難しい。そうした向きに、懇切丁寧かつ縦横無尽に魅力を解き明かしたのが成瀬陽一著「俺は沢ヤだ!」である。

 うかつにも知らなかったが、沢登りは日本独特のものらしい。たしかに欧米にキャニオニングというのはあるが、沢登りとは本質的に違うらしい。
 日本の沢登りは、より困難な峡谷を求めながら、ボルト、ハーケンなど人工物の痕跡をできるだけ残さないのを至上とする、という。自然に飛び込み自己を同質化させるところに高い精神性を求める。これに対してキャニオニングは、より安全に楽しく峡谷の美しさを堪能するところに本質を求める。
 成瀬は書いていないが、こうした違いは、渓谷や滝の向こう側に神の世界を見る日本的自然観からくるものであろう。欧米のキャニオニング(ゴムボートを使うラフティングもだが)にはそうした「神と自然」といった思想はない。沢や渓谷はただ楽しむ対象として存在する。
 多くの人生がそうであるように、成瀬の場合も沢登りとの出会いは偶然のたまものだったようだ。20歳のころ「何をすべきか」が見つからないまま悶々としていた。そんなある日、友人に誘われ山【注1】に向かった。途中で道を間違え、沢を詰めるうち滝に出会う。やみくもに上ったが途中で立ち往生し撤退。その時から山のことが脳内を占める。アルバイト先の山道具屋の先輩に連れられ、行ったのが沢登りだった。
 ――美しい流れは先へ進むほどにめまぐるしく変化し、僕は驚喜した。こんなおもしろい世界があったとは。(略)こうして僕は、やっとたどり着くべき場所にたどり着いたのだった。(28P)
 ある日、沢を目指して歩いていると、一人の男性に出会う。成瀬が「最果て」と書く山あいの集落【注2】でフリースクールを開いていた。大学を出ると、そこへ「就職」した。月3万円、ほとんどボランティアだった。「人生は川の流れに翻弄されて漂う笹舟のよう」である。やがて近くの高校に職を得て、沢ヤ人生が本格的に始まった。
 日本各地へと足を運び、渓谷の多様さに驚嘆し、海外の渓谷が視野に入ってくる。中でも群を抜くスケールが台湾のそれであったという。「外道クライマー」の宮城公博も書く通り、これは多くの沢ヤの共通認識であるようだ。三棧渓の源頭に遡行して、成瀬はこう書く。
 ――ルーレットの壇上に立たされることの引き換えに、人間の踏み入ってはならぬ世界―「神の領域」の通過が許された。僕には、そう思えてならなかった。(129P)
 落石が頻発するゴルジュを命がけでくぐってきたものだけが見ることのできる大理石の造形世界。それこそが沢登りの魅力だといっている。
 では、日本で最も魅力的な秘境はどこか。成瀬はその一つとして、国内最後の地図上の空白地帯、称名川下の廊下を挙げる。わずか2㌔だが、芸術的ともいえる大自然の城塞。10回の峡底下降で41の滝を確認、空白地帯の絵地図を完成させた。

 成瀬は、沢ヤとは生き方そのものであるという。
 ――究極の沢ヤとは(略)すべてを捨てて、一匹の生き物になること。それは同時に、鳥のように大空を羽ばたき、魚のように流れを跳ね上がり、獣のように大地を駆け巡る自由を得るということだ。/そう、何も持たなくていい。(359P)
 内外の渓谷遡行のカラー写真と、その成果である絵地図も掲載。
 山と渓谷社、1200円(税別)。

【注1】愛鷹(あしたか)山。静岡県東部の日本200名山の一つ。
【注2】大嵐(おおぞれ)。静岡県浜松市。


ヤマケイ文庫 新編増補 俺は沢ヤだ!

ヤマケイ文庫 新編増補 俺は沢ヤだ!

  • 作者: 成瀬 陽一
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2021/03/22
  • メディア: 文庫


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