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人はなぜ秘境に向かうか~山の図書館 [山の図書館・映画館]

人はなぜ秘境に向かうか~山の図書館

◇「定本 日本の秘境」岡田喜秋著◇

 著者・岡田喜秋は1947年に大学卒業後、日本交通公社に入り、1959年から12年間、雑誌「旅」編集長を務めた。その際、全国の秘境を訪ね歩き、紀行文を発表。それらをまとめて1960年に上梓した。その一冊が、半世紀を経て再編集、刊行された。

 したがって、秘境取材が行われたのはほぼ昭和30年代前半(19551960年)になる。もっとも、著者自身があとがきで記しているところによれば、「旅」編集員になった1949年ごろから取材はしていたらしい。正確には執筆作業が昭和30年代前半ということになる。

 なぜ、この本の取材・執筆時期にこだわるかといえば、ちょうどそのころが60年安保後、「所得倍増」を池田勇人内閣が掲げ、日本が高度経済成長、経済大国への道を歩み始めたころにあたるからである。都市だけでなく、地方や中山間地では古い民家が取り壊され、安っぽいつくりのプレハブ住宅が続々と建ち始める。そんな時期に、道さえおぼつかない山中や渓谷をほっつき歩いた人物がいて、好奇心あふれる読み物をものしていたのである。

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 「山」「谷」「湯」「岬」「海」「湖」の6大テーマに沿って、それぞれ三つの紀行文、計18編が収められている。

 個人的な関心もあって、テーマとしては「山」が一番面白い。特に、マムシの恐怖におびえつつ、道らしい道もない山稜を行く「乳頭山から裏岩手へ―秘話ある山越え―」は秀逸で、著者の心細さがひしひしと伝わる。そして、たどりついた山中の温泉宿は雫石からざっと八里、冬はバスの終点から歩いても、とても一日ではたどり着けない難所である。そこを管理する若夫婦の思いに触れた個所などは、とても心が痛む。しかし、著者がさりげなく書くように「彼女は今年も冬を越すのである」。

 さらに山路をすすむ著者は、ある峠で武骨なまでに頑丈そうな無人小屋を発見する。「利用者の少ないこんな峠道に山小屋を建てるなどということは、戦後の世知辛い人情からは生まれない。そんなところに、私は南部の人々の心根をよみとった」と著者は書き、「最後の下り」を「快い」気分で下っていく。

 八甲田山での、あるスキーヤーの遭難を機に、冬場の雪上車による運行をやめてしまった温泉宿の主人の思いをつづった「酸ケ湯の三十年―冬の秘話―」も味わい深い。この章を、著者はこう閉じている。

 ――酸ケ湯の三十年は日本の風土の特殊性と、貧しい政治感覚と人間の軽薄さについて多くの教訓を秘めている。

 ところどころに挟まれた、鮮明とは言い難いモノクロ写真とともに、滋味あふれる文章が心にしみる一冊である。消えゆくものへの郷愁ではない、時代に対する視点と批評が、文章に込められている。だから読み終えて、高度経済成長の初期に著されたこの書が、今という時代に重みを持ち始めていることに、どうしても思いをはせてしまう。

 あらかじめ整備されて快適な温泉地や山間の宿をわれわれは求めがちだが、著者はそんなものにはおそらく目もくれず、全国の温泉を訪ね歩いた結果、温泉の最初の発見者は蛇、鶴、猿、熊などであった、と書く。その筆さばきには、まぎれもなく自然への畏敬が籠っている。

    ◇ 

 「定本 日本の秘境」はヤマケイ文庫、950円(税別)。初版第1刷は20142月。これまで東京創元社(60年)、角川文庫(64年)、スキージャーナル(76年)で刊行された。

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

  • 作者: 岡田喜秋
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2014/01/17
  • メディア: 文庫

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