SSブログ

山の図書館~「氷壁」(井上靖著) [山の図書館・映画館]

 山の図書館~「氷壁」(井上靖著)

  男は都会へ帰ってきた。列車の窓の外に目をやる。「新宿の空は赤くただれている」。いつもの「戸惑いに似た気持ち」を抱き「一種の身もだえのようなもの」を感じる。
 小料理屋ののれんをくぐる。「いらっしゃい。また山ですか」「奥穂へ登ったんだ」
 こうして男と山と都会の関係が描かれる。
 主人公の魚津とパートナーの小坂が凍てつく前穂東壁に挑むのは昭和30年の暮れから年明けにかけて、と設定されている。徳沢から奥又に向かい東壁をへて頂上に立つ。計画どおり元日午前8時きっかり壁の裾を登り始める。「ナイロンザイルは初めてなり」―。
 「魚津はピッケルにしがみついていた。そして、小坂乙彦の体が彼の視野のどこにもないと気付いた時、魚津は初めて事件の本当の意味を知った」。ザイルはふっつりと切れたのである。
 
氷壁の表紙.jpg

 新潮文庫版「氷壁」


 ナイロンザイルは当時、最新装備だった。従来のマニラ麻より強いと思われていた。魚津が切ったのではないか。小坂の自殺ではないか。小坂のザイルの結びが不十分で、不名誉を隠すため「切れた」といっているのではないか―。憶測が渦巻き、魚津は窮地に立つ。
 ついには公開実験へと発展する。しかしザイルは切れなかった。20歳以上も年上の男性を夫とする美貌の女性、美那子は小坂との恋に悩む。小坂の妹かおるは魚津に恋をする。男女の関係が絡み合い、巧緻なプロットが組み上げられる。
 厳冬の北アルプスの壁で起こった事件は、登場人物の心に「氷の壁」を作っていく。そう、タイトル「氷壁」は実は人々の心模様であることが分かってくる。
 「(魚津は)問題の氷壁よりもっときびしい現実の上に立つぞと言った言葉を思い出した。確かにいま自分はあの白いごつごつした氷壁の一角に取りついている時と同じ気持ちだと思った」
 遺体から収容されたザイルの切り口から、衝撃にもろい弱点が明るみに出る。しかしもう世間は関心を示さない。
 かおるとの結婚を約束した魚津は滝谷を登り、徳沢でかおると再会する計画を立てる。約束を果たすため落石の中の登攀を強行、命を落とす。「静カナリ。限リナク静カナリ」と手記を残して。
 昭和31年、朝日新聞に連載。この年、石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞をとり、裕次郎が銀幕デビューした。日本隊のマナスル登頂もこの年だった。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0