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八ヶ岳幻視行~赤岳山頂で富士を見た [八ヶ岳幻視行]

 八ヶ岳幻視行~赤岳山頂で富士を見た

 2008年の夏は松葉杖で過ごした。1カ月後には穂高に登るという動かせない日程が組まれていた。恐る恐る医者に聞いてみた。「行くのは勝手ですが、痛くて歩けないと思うよ」。でも結局、サポーターを足首に巻いて、行ってしまった。無事、奥穂高への4度目の「巡礼」を果たした。松葉杖の原因は、直前に行った赤岳だった。下りのなんでもない山道で、左足首をひどく捻挫してしまったのだ。以下は、その時の記録である。

 

 赤岳・横岳・阿弥陀岳

 大きな忘れ物をとりに、八ヶ岳に向かった。昨年秋、硫黄岳から見た赤岳と横岳、阿弥陀岳の絶景。ぜひ登りたかったのだ。
 8月13日早朝、新幹線で広島を発った。見覚えのある茅野駅でバスに乗り換え美濃戸口に着くと風はひんやりしていた。標高1,500㍍。3時間の歩きで赤岳鉱泉。車も行きかう林道はやがて沢沿いの山道に。午後4時すぎ標高2,200㍍の小屋に着いた。温泉でさっぱりと汗を流す。
 14日午前7時前、硫黄岳へと向かう。気温14度。樹林帯をジグザグに登る。快適。しかし山上はガスに覆われていた。
 緩い登りをしばらく我慢すると砂地の広場に飛び出した。赤岩の頭だ。ぽつんと標識。ガスの向こうに岩塔のシルエット。その下を横切ると、昨年見ただだっ広いガレ場が広がった。硫黄岳、標高2,760㍍。赤岳鉱泉から1時間半足らず。風が強く視界はきかない。昨年と同じだ。唯一違うのは、一瞬もガスが切れることのないことだった。
 硫黄岳小屋へ向かい、そのまま横岳の登りにかかる。一面にコマクサ。時期を過ぎたためか花びらは枯れかけ強風に揺れている。しばらくだらだらと登る。だが尾根の右側はすっぱりと切れ落ち、ガスが漂う。爆裂火口の縁を歩いている状態だろう。視界がきかないため高度感はない。
 やがて鎖場。はしごもある。しばらく歩き横岳頂上へ。2,829㍍。ピラミッド状の山ではない。ノコギリの歯の、一番高度がある場所が山頂という感じだ。居合わせた登山客にカメラを渡し記念撮影。10時を少し回っていた。さらに岩稜帯を行くと小さな地蔵の建つ分岐。下りは地蔵尾根。行者小屋から登るとここに合流する。5分で赤岳展望小屋。風裏に回ると数人が休んでいた。いずれも昼食の最中。そういえば、と時計を見ると11時すぎ。しかし、これからきつい登りがある。昼食は頂上小屋にしよう。
 ジグザグの道は、そのうち岩がむき出しの登り一辺倒になる。脇の鎖をつかむ。息が上がる。30分ほどで小屋が見え始める。正午すぎ、頂上だ。2,899㍍。天候は悪くなってきた。夜半は風の音がすごく、たびたび目が覚めた。

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 赤岳山頂から見た頂上小屋

 

 15日、最悪の天気。何も見えない。それでも、とザックを担ぎ頂上に向かう。小屋から5分。カメラも役に立たない、と思ったとたんガスが切れた。尾根の向こうに雲海。富士のきれいなシルエットが浮かぶ。
 山頂下のはしごに取り付いたのは午前6時半。実は迷っていた。権現岳、編笠山へ直接向かうか。阿弥陀岳を往復して権現へ向かうか。阿弥陀から行者小屋へ降り、美濃戸へ向かうか。行者小屋に降りれば日程は一日短くなる。阿弥陀往復、権現へは正味7時間以上の行程。「天気しだい」と決めてはしごを降りた。

 ここで痛恨のミス。踏み跡につられ、T字型の三叉路をそのまま下降してしまった。傾斜はきつくなり、コースは消えていく。「違う」と気づき登り返したが50分のロス。この時点で7時間コースはあきらめた。

 
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 赤岳の稜線越しに見た富士山

 稜線は気持ちのいい下りだった。途中で行者小屋へのルートを確かめ、阿弥陀の登りに取り付いた。思ったよりきつい。岩をよじ登る。しかし、30分ほどの我慢。8時40分、頂上だ。2,805㍍。
 阿弥陀岳下の分岐から行者小屋へと緩やかに下る。登りの登山客に道を譲り一歩を踏み出したときだった。足元の石が泥状の地面の上を滑った。気がついたら左足首が体の下にある。しびれている。「しまった」。幸い骨は折れてはいないようだ。痛みはあるが、バスが来るところまで歩くしかない。3時間かけて山道を下った。
 美濃戸口でバスを待つ間、ジョッキの生ビールを注文した。通りかかった団体がうらやましそうに見ているのを横目に、テラスのテーブルで飲み干した。

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