九州幻視行~開聞岳・山頂はガスに覆われ [九州幻視行]
九州幻視行~開聞岳・山頂はガスに覆われ
2月20日、南九州の秀峰・開聞岳に登った。標高924㍍。たかが1000㍍足らず、されど924㍍であった。前夜指宿に泊まり、朝からかいもん山麓ふれあい公園に向かった。駐車場に車(レンタカー)を置き、2合目登山道まで約10分。ここからが本格的な山道。段差があり、木の根っこや大きな岩が現れる。それでもしばらくは急登もなく歩きやすかった。山は端正な円錐形で直登ならかなりの急登になるが、道は円錐を巻くように切ってあった。ただ、樹林帯で見通しはきかなかった。
予報では午前曇り、午後晴れのはずだった。5合目の展望台に着くと、樹林の切れ間から長崎鼻へ向かう円弧状の海岸線が望めた。しかし、雲は厚かった。再び樹林帯を行く。7合目より上はところどころ見晴らしがきくと予想したが、ガスが切れない。どうやらこのまま雲がかかったままのようだ。頂上に近づくにつれ大岩、ハシゴ、ロープが頻繁に表れ、消耗する。前憂後楽でなく前楽後憂。こんな山が一番きつい。
頂上はガスと強風に覆われていた。晴れていれば絶好の景色が広がっただろうが、あたりはただ白い闇だった。早々に下山にかかった。巨岩が転がる山道は、飛ばそうにも飛ばせないと危惧したからだ。
下山中、7合目の上あたりだったか、突然ガスが切れ円弧上の海岸線が見えた。2、3度シャッターを切るうち、再びガスがあたりを覆った。
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前日の19日、鹿児島中央駅からレンタカーで知覧の武家屋敷群と特攻平和会館を訪れた。
武家屋敷群は島津藩の外城(麓)と呼ばれ、こうした集落を藩内に点在させて外敵の侵入を防御したという。立派な石垣が整然と組まれ、江戸期の雰囲気を今に残していた。家屋は簡素で二つ屋根をL字に組んだ構造(二ツ家)が特徴的だった。石垣で区切られた通りが微妙にカーブしているのが印象的で、おそらく敵と対峙した時、身を隠す場所を確保するための造作と推測した(ほかの城下町でもみられる工夫である)。
特攻平和会館は、知覧から沖縄へ特攻作戦で飛び立った兵士たちの遺書などが展示してあった。目にすれば痛々しいが、検閲下である。本音は書けなかっただろうと推測した。映像などもあり見聞したが、南海に散った兵士たちへの心情的共感だけが語られているとの思いが強かった。なぜ彼らは特攻に駆り出されたか、誰がそうさせたのか、どのような社会システムと思想のもとに特攻作戦はあったのか。これらの疑問を解く手掛かりがないことは気がかりではあった。体験を後世に引き継ぐためには必要なことではなかろうか。
中国山地幻視行~暖冬の空と海・鈴ヶ峰 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~暖冬の空と海・鈴ヶ峰
北海道には第一級の寒波が襲来するとテレビが報じていた。首都圏にも、深くはないが積雪がありそうという。人口過密地帯は雪に弱いとも、コメンテーターが口にしていた。しかし、西日本は相変わらずの暖冬である。中国山地の奥地に行けば雪山に出会えるかもしれないが、なんとなくこの気候では足を運ぶ気になれない。
そんなわけで、裏山にてお茶を濁した。鈴ヶ峰~鬼ヶ城縦走コースである。鈴ヶ峰312㍍、鬼ヶ城282.5㍍。二つのピークは縦走路でつながっている。標高は低くとも、眺めはよい。アップダウンがあるので、標高差は額面通りではない。
この日は鈴ヶ峰~鬼ヶ城を一気に駆けた。1時間半ほどかかった。夏なら一気はむつかしいが、幸いなことに今は冬である。多少の汗はかいたが、自分のペースで歩いた。
曇天である。気温10度。空も海も鈍色をしていた。広島湾は冷たい鏡のようだった。つれて、街も水の底で眠っているように見えた。しかし、重苦しくはなかった。どこか、人を安心させるたたずまいであった。こんな風景もいいな、と二つのピークに立ちながら思った。