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すべての山から生還した男~山の映画館 [山の図書館・映画館]

すべての山から生還した男~山の映画館


「人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版」


 世界的なクライマーといっていい山野井泰史を、エヴェレスト登頂経験を持つテレビ・ジャーナリスト武石浩明がドキュメンタリーに仕上げた。タイトル「人生クライマー」から、作品は二通りの見方が想定される。一つは、物心ついたころからクライミングのことしか考えてこなかった、そして今生きている、と語るその生きざまを見る。二つ目は、ずばり、世界的なクライマーのメンタル、技術の水準を見る。二つを同時に見ることは可能だが、おそらく(私も含めてだが)、視線の軸足は前者にあると思われる。

 簡単に言えばクライマー山野井の足跡を追っているのだが、あるのは栄光と成功ばかりではない。
 始まりはマカルー西壁(8463㍍)。ポーランドのヴォイテク・クルティカら3人が1981年、当時世界最強と言われたパーティーを組んで挑んだが7800㍍地点で敗退した。死のゾーンと呼ばれる8000㍍付近にそびえたつ巨大なオーバーハングが、この壁をヒマラヤ最後の課題と呼ばせている。ここにソロで挑んだのが1996年の山野井だった。
 しかし、6700㍍でビバーク後、7300㍍付近で体験したことのない衝撃を受けた。落石だった。直撃したヘルメットは割れ、軽度のむち打ちになったようだった。いったん引き返した山野井は「行けるところまで」と、カラ身で再び登ろうとする。引き留めたのはベースキャンプの妻・妙子だった。やり取りは映像で再現されている。妙子はこの時、山にのみ込まれた山野井の精神状態を察知していた。山野井自身が著書「垂直の記憶」(山と渓谷社)で、その時の心理を明らかにしている。

 ――体は冷え切りガタガタと震えていた。どうあがいても頂上に行くことはできない。難しすぎる。(略)これから僕を待っているのは1000㍍以上の青光りした氷壁にオーバーハングした500㍍の弱点の少ない岩壁。それも酸素が薄くなる7000㍍の高度から現れるのだ。(略)すべてが絶望的だ。それでも多くの人に無様な敗退を見られたくないと、どこかで思っていた。

 山野井はこの後、壁(オーバーハングしたヘッドウォール)を見て「登っている自分をイメージできない」と書いている。彼は完全にのみ込まれていたのだ。それでも登ろうとしていたのは、背後に武石らクルーのカメラを意識したためだった。そんな、純粋とは言えない精神状態を察知して救い出したのは妙子だった。
 なぜここまで「ソロ」にこだわるのか。このドキュメンタリーでも、その問いが投げかけられている。多少軽口めいた調子で「ヒト(他人)は信用できないから」と答え、続いて「一人だとものすごい恐怖と孤独感がある。それを乗り越えて頂上に立った時の達成感が忘れられない」と言っている。
 「ソロ」で登る感覚を、端的に表した言葉がある。
 「山学同志会の頭脳」と言われた坂下直枝。

 ――ひと言で言えば「だれもいない」という底知れぬ実感。(略)たとえるならば「ひとからの絶対的な距離感。「ひとからの」の意味には、救助への期待感や、仲間とのコミュニケーションや、人間の温もりといったものが含まれるのかもしれない。(略)だがソロには、それすらもない。(略)「絶対的なエンプティ―(空)」

 「ソロ 単独登攀者 山野井泰史」(山と渓谷社)で、丸山直樹が書いている。先の山野井の言葉の裏側にあるものを言い当てている気がする。 死に近い世界に挑み続けて、山野井はすべての山から生還した。妙子は、完全な準備をして挑む、ものすごく慎重な人と、その性格を明かしている。豪胆さより慎重さと繊細さで、死の世界を垣間見た人なのだ。
 マカルーの2年後、マナスル(8163㍍)の北西壁(未踏)に挑んでいる。6100㍍付近で崩壊したセラックの直撃を受け、のみ込まれた。このとき「なぜか冷静に、雪崩で死んでいく自分がわかった」と書いている(「垂直の記憶」)。この時の体験を「レベルの高い登攀を成功させることは確かに魅力的ではあるが、死はクライミングに失敗することよりずっと敗北なのだ」と振り返る。
 マカルーでの敗退についても「山の困難度と自分の技術の測り方を間違えた」と総括し(「垂直の記憶」)、昨年夏に出た「山野井泰史全記録」(山と渓谷社)では「僕は巨大な西壁を登る資格を持ち合わせておらず、そのうえ、山の迫力に圧倒され続けてしまった」と、より率直な表現で語った。
 もし、私たちが山野井から学ぶことがあるとすれば、冷静さと率直さ、何があっても生きて帰るという生への執念と慎重さではないかと思う。


山野井1.jpg


山野井2.jpg


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