中国山地幻視行~秋はいつ来る・吉和冠 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~秋はいつ来る・吉和冠
この山は広い裾野と、三角形にとがった山頂付近で成り立っている。その頂上直下にたどり着いたとき、頭上から声がした。目を上げると、人が立っていた。一人ではない、数人だ。と思ったらその数は10人以上に増えた。山頂から降りてきたグループに違いない。道をよけてくれ「どうぞ」という。「いや、ここで休みますので」と答えて、脇に腰かけた。クマよけに、と思って鳴らしていたラジオから春日八郎の「お富さん」が流れてきた。「粋な黒塀、見越しの松に…」。降りてきたグループの一人が「あら、懐かしい」。どうやら、同じ年恰好らしい。ラジオではMCらしき人が懐かしんで、子供のころ意味も分からず歌っていた、と話したが、その通りだった。そのうち誰かが「一人ですか」と聞くので「そうです」と答えたら、この山で人に会ったのは初めて、という。アマゾンあたりのジャングルでもあるまいし、と思ったが、こちらも同じであった。
10月2日、日曜日。久しぶりに雨なし予報。そこで、この山に取り付いたが、晴れているとはいえ湿度が高い。汗が噴き出す。これでは雨に降られているのと変わりない、と思いつつ、人気のない道を登った。日曜というのに頂上直下まで孤独な旅だった。このところの雨続きで、沢は水量を増しごうごうと音を立てていた。クマよけの鈴だけでは心もとなく、ラジオもボリュームいっぱいにあげた。途中、腐った倒木に無数のひっかいた跡があったが、クマの仕業ではないか。腐木に潜む虫でも狙ったか。
山頂から眺める山並みは白いベールの向こうだった。日の当たるあたりがかすかに浮き上がった。不思議な光景だったが、爽快ではなかった。気温24度。それなりに風は冷たいが汗は止まらない。天高く爽快な秋はいつ来る。
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