旅におぼれて~東欧・中欧点描③ウイーン 帝国の黄昏 [旅におぼれて]
旅におぼれて~東欧・中欧点描③ウイーン 帝国の黄昏
ブラスチラバから約1時間、バスが市街地に入った。これまでの、ヨーロッパの田舎町の雰囲気とは明らかに違う。はるか前方に大きな観覧車の上部が目に入った。「あれは、ひょっとして…」。尋ねてみると確かにそうだった。「あの映画に出てくる…」。あの映画とはオーソン・ウエルズの「第三の男」。そう、ここはウイーンである。
中世以来、ウイーンは「都」であった。ハプスブルグの帝都であり、神聖ローマ帝国の首都であった。しかし、ウイーンを取り巻く情勢はいつも「動乱」であった。第2次大戦では枢軸国の側につき、ナチスドイツの支配下にあった。その前史として、貧しい画学生ヒットラーのウイーン留学があった。1989年11月、ベルリンの壁が崩れたときには、その前段として東ドイツ→ハンガリー→オーストリアという「大脱走」が9月にあった。ベルリンよりもプラハよりも東に位置するという地政学的な意味が、この街に歴史的な宿命を負わせているのかもしれない。しかし、歴史の荒波の中でウイーンはいつも「都」であった。
いまも、ウイーンのメーンストリートは洗練され人であふれ、赤を基調にしたトラムが走り、ネオンが輝く。この都には永遠に黄昏など訪れないかのように。
国立オペラ座からシュテファン寺院まで、ケルントナー通りをぶらり歩いた。夕暮れ時の雨に、ネオンがにじんだ。
ケルントナー通りの突き当たりにあるシュテファン寺院。建設されたのは12世紀で、ハプスブルグ家の支配が始まる以前。ロマネスクからゴシックに作り替えられた。第2次大戦後に再建された |
ケルントナー通りから少し外れた横道 |
ケルントナー通りから見た国立オペラ座。ヨーロッパ三大オペラ劇場の一つ |
国立オペラ座 |
マリア・テレジアやマリー・アントワネットが夏の宮殿として住んだというシェーンブルン宮殿。外観はマリア・テレジア・イエローと呼ばれ、彼女の好みで統一された |
ヴェルブデーレ宮殿。オスマントルコを破ったプリンツ・オイゲン公の夏の離宮。シェーンブルン宮殿もそうだが、ヨーロッパの建物はシンメトリーで造られる。そのままだと息が詰まるので写真の構図には苦労する |
2014-02-08 14:49
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コメント(2)
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シェーンブルン宮殿にはたしか日本庭園らしきものがあったような記憶があります。 歴史と文化の街ですね。
by Jetstream777 (2014-02-08 20:27)
≫Jetstream777さん
シェーンブルン宮殿の中はかなり見たのですが、日本庭園は気がつきませんでした。なにせ冬なので、庭はどこも殺風景でした。
by asa (2014-02-09 12:35)