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山の図書館~みずみずしい抒情の記録 [山の図書館・映画館]

山の図書館~みずみずしい抒情の記録 

山口燿久「北八ッ彷徨」

 昭和の初めに生まれ、10代のころに登山を始めたという。昭和19年に獨標登高会を創立、初代代表となる。
 と書けば、戦火の時代に山を切り開く、ごつい山男のイメージがわきあがる。しかし、この「北八ッ彷徨」に収められた写真はそれらを見事に裏切る。眼鏡をかけ、皮の登山靴をはいてどこかの斜面で休息する男性は、どう見ても内向的な優男である。
 そしてこの書の文章もまた、このイメージから外れることはない。

 ――ぼくが山に登りはじめて、もう何年になるだろう。苦しかった山があり、こわかった山があり、さびしかった山があった。苦しい山や、こわい山にはめったに追い返されはしなかったけれど、さびしい山にはときどき敗けた。敗けて帰ったじぶんの弱さは、いつまでも肚にこたえた。(「岩小舎の記」)

 うん。分かるな、この感じ。
 八ヶ岳を歩いたことのある人なら誰でも知っているが、北八ッと南八ッはまったく性格が違う。著者も当然、この点に触れている。

 
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 ――南八ヶ岳があけっぴろげで明るく、派手な山であるのにくらべて、北八ヶ岳は内にひそんで暗く、地味な山である。(略)切り立った線はそのてっぺんに登ってやろうという人間の本能を挑発するが、なだらかな面はそういう情熱を刺激しない。(略)要するに登山という構えた言葉よりも、山歩きとか山旅とかいうおとなしい言葉のほうが、このおだやかな山地には、すなおにひびく。

 著者は明らかに、北八ヶ岳に魅力を見出している。頂上を必ずしも必要としない山歩き。原生林に、著者の思索と抒情に満ちた感性があふれ出ていく様子が見える。だからこの書も「八ヶ岳彷徨」ではなく「北八ッ彷徨」となったのであろう。

 著者の豊かな抒情的感性は、多くの作家がそうであるように「死」のイメージで縁どられている。そう思わせる表現が、そこかしこにある。そのルーツとも思えるもの―。この書の末尾には「富士見高原の思い出」というわりあい長めの文章が収められている。著者が結核を患い、八ヶ岳のすそ野で長い療養生活を強いられたときの経験を書いている。

 ――ふと、いま自分が寝ているこの同じベッドで幾人かの人が死んだはずだということに気づいた。(略)自分はいま少なくとも幸福とはいえないが、死につつある隣室の人よりかは不幸ではないと思った。


 ――小広い平地になってひらけたその峠は、風と雪と、乱れ飛ぶ落葉樹の落ち葉の、すさまじい狂乱の舞台だった。(略)
 滅びるものは滅びなければならぬ。一切の執着を絶て!(「落葉松峠」)

 この無常観。そしてこの文章は、こう締めくくられている。

 ――心を澄ませば、なにもかも美しすぎる山の春の自然だった。

 そうした中で、「岩小舎の記」の章は一味違っている。「岩小舎」があるのは北八ッではなく、南の八ヶ岳の稜線。阿弥陀岳の頂上下、ほとんど人の入ることのない沢にそれはある。地元の人も、存在は知ってはいても場所を知らない「岩小舎」の入り口を偶然見つけ、以来、壁を登る際の拠点としてきた思い出をつづっている。北八ッを歩く時の思索に満ちた文章とはがらりと変わって、ここには著者の山男としての「強さ」と行動力がにじむ。

 いずれにしても、雨の日に山を歩けない無聊を紛らわすため、「北八ッ」をさまよってみるのに最適の著と言える。そしてこれを読めば、間違いなく八ヶ岳の自然をめぐりたくなる。

 「北八ッ彷徨」は平凡社刊。1300円(税別)。初版第1刷は2008310日。
 著者は1926年、東京生まれ。後立山不帰Ⅱ峰東壁などルート開拓。串田孫一らと山の文芸誌「アルプ」編集に参加。主な著書に「八ヶ岳挽歌」(平凡社)など。

北八ッ彷徨―随想八ヶ岳 (平凡社ライブラリー)

北八ッ彷徨―随想八ヶ岳 (平凡社ライブラリー)

  • 作者: 山口 耀久
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 単行本


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よしころん

今度図書館で探してみます~♪
by よしころん (2010-07-03 22:20) 

おど

面白そうな本ですね。 まだ、北八ヶ岳へ行ったことがありませんが、共感するところがありそうですよ。

by おど (2010-07-04 13:44) 

asa

≫よしころん さん
≫ おど さん

ぜひ読んでみてください。
by asa (2010-07-05 18:21) 

ken_trekking

北八ツ彷徨、八ヶ岳挽歌。両方ともハードカバーで
持っています。でも、まだ読んでいない!なんか読むのが
もったいない気がして。。でも、この夏は読もうと思って
います。再読しまくりそう。
by ken_trekking (2010-07-07 20:13) 

asa

≫ ken_trekking さん
それはぜひ読まないと。
by asa (2010-07-07 22:35) 

kakasisannpo

・・・なにもかも美しすぎる・・・
切なさが漂っている気がします
by kakasisannpo (2010-07-08 11:43) 

yakko

こんにちは。ハイキング程度の山しか登ったことがないので
著者の心情は難しいですが、「山男」の一端を垣間見られそうですね。
by yakko (2010-07-08 13:20) 

lance06

こんばんは。お久しぶりです^^
北ヤツ好きとしては機会をみつけて読んでみたいです!
サッカーW杯に熱中してブログサボり気味ですが、
ボチボチ復帰します^^;
by lance06 (2010-07-08 22:49) 

asa

≫ kakasisannpo さん
とても戦中派とは思えない文章です。

≫ yakko さん
読めば北八ヶ岳を歩いた気分になれます。

≫ lance06 さん
北ヤツ好き、わかる気がします。
by asa (2010-07-09 05:44) 

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