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山の図書館~「栄光の叛逆者 小西正継の軌跡」(本田靖春著) [山の図書館・映画館]

 山の図書館~「栄光の叛逆者 小西正継の軌跡」(本田靖春著) 

 元読売新聞記者本田靖春は2004年に71歳で亡くなるまでの4年間、体験的ジャーナリズム論とも言うべき遺作「我、拗ね者として生涯を閉ず」を月刊誌に連載した。あらためて読むと、すさまじい内容である。
 本田は01年、糖尿病で両足を失う。さらに大腸がん、肝がん、右目失明、心筋梗塞、脳梗塞とあらゆる業病をねじふせ、病室でペンをとる。しかし闘病のことなど触れることはない。さりげなく「私は闘病記と貧乏物語が大嫌いである」と書く。
 「私は折りに触れて、自分のことを由緒正しい貧乏人といってきた」という本田の真骨頂ともいうべきエピソード。ある大学教授と取材のため京料理の店に行く。いかに粋を極めた料理かと講釈が始まる。店の親父も合いの手を入れる。「何を出ししましょう」「なるべく能書のつかないものをちょうだい」
 「栄光の叛逆者」のあとがきで本田は「私は山に関してまったくの門外漢」と書く。その彼が生涯に2冊、登山に関する著作を残した。「K2に憑かれた男たち」と、この「栄光の―」である。その動機を本田はつづる。
 
山の図書館P.JPG
 「栄光の叛逆者 小西正継の軌跡」(山と渓谷社)

 「(ある雑誌の編集者が登山歴のある書き手を起用、編集者によると)その仕上がりは申し分のないものであったが、全体が登山家の視点で貫かれているため(略)人間臭いエピソードが全部落ちてしまったという。彼は(略)山の話としてではなく、人間の話としてまとめてみてはどうか、と勧めてくれたのである」
 しかし、このことだけが動機とは思えない。
 「この尖鋭的集団(小西が率いる山学同志会)は頑なに他との交流を拒み、日本山岳会に象徴される既成の権威に対して、エキセントリックといえるほど叛逆を試み続けた」「しかし私は、彼がわがものにした栄光にはさほど関心がない。ただただ叛逆の半生に心惹かれる」 
  一方、小西はこう言う。「僕の教育の仕方は、山の議論を一切させない。能書しか知らない耳年増になるだけですから」
 本田は山にではなく、小西という人間に共鳴していたことが分かる。
 小西は中学卒業と同時に就職する。銀座近くの印刷所である。昼には注文をとって弁当を買いに行く。真っ黒な作業着で銀座を歩く。最初のうちは恥ずかしかった。
 小西が珍しく自伝的な部分を記した「凍てる岩肌に魅せられて」から―。「同窓会にある日顔を出してみた。卒業した麹町中学はいわばエリートコースであった。同級生の共通した話題は自慢話の一点に尽きていた。社会的に何も持たない私は軽蔑のまなざしで眺められる始末であった。しかし私は劣等感といった類のものはこれっぽっちも感じなかった」
 小西がエベレスト第二次偵察隊への参加を承諾した時、慶応大出身で隊長の宮下秀樹は「どこのウマの骨だ」と言ったという。こうした権威に対する叛逆が小西の精神と肉体を鍛え、本田がそこに自分を投影したことは想像に難くない。

 「栄光の叛逆者」のあとがきを本田はこう締めくくる。「小西氏の行動の軌跡は、私に生きることの意味を教え、勇気と励ましを与えてくれる。(略)私が登山家に期待するのは(略)俗界では見られない真に自由な人間の魂の輝きであり、非妥協的な自己主張なのである」


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