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「世界最悪の旅 スコット南極探検隊」(チェリー・ガラード著)
 

 ノルウェー人のアムンゼンが南極の極点に到達したのは19111214日だった。それより約1カ月遅れの翌年117日、英国人スコットが極点に到達。しかし、二つの旅は鮮烈に明暗を分ける。アムンゼンが無事に帰還したのに対して、スコット隊は極点からの帰途、5人全員が死亡する。

 スコット隊のあまりに悲惨な旅を、探検隊の一員だったチェリー・ガラードが再現したのがこの一冊である。

 191010月、メルボルン港に入ったテラ・ノバ号(スコット隊の乗船)に一通の電報が舞い込む。「余は南極に向かわんとす。アムンゼン」―。これがすべての歯車を狂わせる発端となる。その最初の動きは翌年2月、南極大陸に貯蔵所を建設したスコット隊が、目と鼻の先にアムンゼン隊の船を見つけたことに始まる。事実上、極点レースがスタートするが、むろん今日のような快適な環境ではない。ガラードは、その模様を描いている。気温はマイナス50度前後、進む距離は1日4㌔から5㌔。夕刻には凍った寝袋に潜り込む。そして「おそろしいけいれん」を起こす。事態は悪化し寝袋の中にいても凍傷を起こすようになる。

 隊は4人ひと組で構成された。しかし、スコットは極点アタックチームを5人にした。1人でも多く連れて行こうと思ったのかもしれない。しかしこれも、歯車を狂わせる一因になる。食糧など物資の量、テントの数、ソリの大きさ、すべてがそれまでの計算と違ってくる。スコット隊の極点到達は12117日。アムンゼン隊は既に1カ月前に到達を果たしている。ここからスコット隊の絶望的な帰還が始まる。そして3月27日には、全員がテント内で死に絶える。

 
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 ガラードが記す遭難隊発見の模様。

 ――ライト(注:隊員の一人)はまっすぐにこっちへやって来た。「テントだ」。(略)なにげない雪の荒地であった。

 ガラードは続いて、隊員たちが残した日記を明らかにする。向かい風でソリは遅々として進まず、1日の行程はわずか数㌔。隊員は次々と凍傷で足をやられていく…。

 何が違ったのだろうか。アムンゼン隊はまっすぐ極点に向かい、史上初めて到達し、ひとりの生命も失うことなく戻ってきた。スコット隊は多くの困難と闘い、多くの生命を失い、極点初到達の栄光も担うことがなかった。

 ガラードは「アムンゼン隊が個人的資質が高かったと結論付けるのは早計」としたうえで、山のように「もしも」を連ねる。もしアタックが4人だったら、もしスコット隊が先に拠点に到達していたら、もし余分の燃料があったら…。しかし、事実は変わらない。

 そしてこの一冊を、ガラードは次の言葉で結ぶ。

 ――探検とは知的情熱の肉体的表現である。

     ◇

「世界最悪の旅」は中公文庫、838円(税別)。初版第1刷は2002年。チェリー・ガラードは1886年、オックスフォード生まれ。スコットを隊長とするイギリス南極探検隊に動物学者として参加し、帰還を果たす。1959年没。


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