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あらためて低体温症の恐怖を知る~山の図書館 [山の図書館・映画館]

あらためて低体温症の恐怖を知る~山の図書館
 

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」羽根田治ほか著

 北海道・大雪山系トムラウシ山でツアー登山客18人のうち8人が亡くなったのは2009716日だった。真冬ではない標高2000㍍級の山でなぜこんなことが起きるのか。ニュースの聞いた時の第一印象だった。そして当時のマスコミ報道は、登山客の装備の不備を取り上げた。観光客並みのウインドブレーカーで雨交じりの強風の中を長時間歩いたらしい。レインウエアはビニール製のものもあったらしい。本当だろうか。そんな装備で、3日間で40㌔余りも歩く縦走に出かけるだろうか。もし最新のレインウエアを着ていたら、遭難は起きなかったのか。
 その後、この報道は間違いであったことが明らかになる。遭難者は全員、ゴアテックスのウエアを着ていたのである。マスコミの一過性の報道だけでは再発は防げない。事故の残したもう一つの教訓は、こうしたことでもあった。1年を経てこの書が出たことの意味はそこにある。大量遭難を招いた本当の原因は何だったのか。きちんとした検証が必要なのだ。
 そうした観点から、4人のライターが分析を試みた。そのうちの一人、「山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か」を書いた羽根田治が全体をまとめる形をとった。4人はそれぞれに別個のテーマでアプローチしているが、全体を通して見れば二つの大きな柱があることが分かる。一つは羽根田自身の問題意識によるところが大きい、「ツアー登山」が抱える問題である。もう一つは、知られているようで知られていない「低体温症」の恐怖である。
 構成面からいえば、第1章として羽根田が事故当時のもようをできるだけ忠実に再現したドキュメントを掲載した。続いて第2章は、3人のうちただ一人生き残ったガイドへのインタビュー。第3章には事故当時の気象分析。そして第4章が「低体温症」で第5章に運動生理学面からの「提言」を載せた。第6章は再び羽根田で「ツアー登山」。ここでは、山で発生するリスクはツアー会社と登山客、いずれが負うべきかが論じられている。
 このうち最も重要なのは第4章「低体温症」だろう。かつて「疲労凍死」と呼ばれたが、けっして酷寒の冬山でのみ起きるわけではない。事故当時の気象は第3章で触れられているが、特別な悪条件であったわけではない。風速はだいたい20㍍前後、台風並みだがありえない状況ではない。温度は8度から10度で夏としては寒冷だが真冬並みではない。雨量は午前6時の8㍉が最高で土砂降りではない。

トムラウシ山_001のコピー.jpg
 


 しかし、稜線で強風にさらされ続け、沼からあふれた水で川状となった登山道を歩き続けるうち、体力が消耗していく。怖いのは、体温が下がっていくことへの自覚がないまま急速に意識が薄れることである。この書によれば、体温35度以下で歩行や意識に支障が出始める。正常な体温より、わずか1.5度の低下である。34度を下回れば、山では「死にいたる」という。これらの症状は段階的に発生するわけではない。普通、寒ければ震えがくるが、それさえないケースがある。第4章を書いた金田正樹は、トムラウシと同じ716日、大雪山系・美瑛岳で起きた遭難事故について、こう記している。
 「十九時前、背負われて小屋に行く途中に、背中の上ですっとのけぞる形で意識がなくなった。小屋で蘇生術を行ったが、生き返ることはなかった。時間は二十一時だった」
 疲労の度合によって低体温症の発生の仕方は違ってくる。体力を消耗しきってしまうと、体の震えによって体温を上げようとする防衛措置さえ取れなくなってしまうのだ。この点を金田は「低体温症の最も恐ろしい点は、意識レベルが下がるので自分の意志で防衛する動作さえできなくなることにある」という。
 第1章のドキュメントを読んで分かるのは、昨今の中高年登山ブームもあって、装備に不備は見当たらない点である。この山行に合わせてゴアテックスのレインウエアを新調した人もいるほどだ。しかし、その装備を十分に使いこなしていたかどうかは疑問が残る。一方で、この縦走では宿泊する小屋は無人のためシュラフ、食糧は自分持ちである。当然、重量がかさむ。となれば持ち物を削るか、重量に耐えるか。削れないとすれば、果たしてそれだけの重量を担ぐ体力が備わっていたか。そして最大の問題点は、ガイドの経験不足である。山全般についてはそこそこのキャリアがあったかもしれない。しかしツアーに同行したガイドは現地で初めて顔を合わせた間柄。しかもコースを歩いたことがあるのは一人しかいなかったという。こうした事実から浮上する問題点を、羽根田が第6章で掘り下げた。
 第2章にはただ一人生き残ったガイドへのインタビューを載せた。あの事故から1年を経たとはいえ、ガイド自身からすれば心から血を流すような思いのインタビューであろう。事実、このように語っている。
 「この一年は長かったですよ。人生の中でいちばん長かったかもしれないですね」
 そして、なぜ縦走路から引き返すことをしなかったか、について。
 「『ヤバいよ。これ、マズイっすよ』と言いました。『やっぱり引き返そう』と言われるのを、どれだけ待っていたか。でも、『おまえ、なに言っとんだ』みたいな感じでそのまま先に行っちゃんたんで、『行くんだ…』と」
 にわか仕立てのガイド集団の弱みが如実に表れている。だから第6章で羽根田は「事故の要因は『ガイドの判断ミス』の一点に尽きよう」と断言する。具体的には2日目の宿泊地、ヒサゴ沼避難小屋を出発してしまったこと、ロックガーデンの急登の手前で引き返さなかったこと、さらに北沼渡渉点を渡ってしまったこと、である。その背後にはツアー会社の、山のリスクに対する無理解、ガイド資格のあいまいさ、といった問題が横たわる。冒頭に書いたように、羽根田は「ツアー登山」のありかたに相当の問題意識を持っている。基本的に山では、リスク管理は自己責任だが、対価を払って参加するツアー登山はその範ちゅうに入らないともいう。しかし、トムラウシの例を見ると、あまりにも「誰かが何とかしてくれるだろう」といった意識が強すぎるようにも思える。だから羽根田は、自力で生還したある登山者の言葉を引く。
 「結局、自分のことは自分で守るしかない。それがこの事故から得た教訓だ」
 古今東西、万古不易の真理ともいえる。この言葉を心しなければならない。

 
 「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 低体温症と事故の教訓」は山と渓谷社刊。初版第1刷は2010年8月5日。1600円(税別)。羽根田治はフリーライター。金田正樹は整形外科医でヒマラヤ登山の経験もある。このほかの著者は日本山岳会、日本雪氷学会会員の飯田肇、チョ・オユー無酸素登頂を果たし登山の運動生理学を研究する山本正嘉。 
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Umi-Bozu

登山に限りませんが、「経験則」という引き出しをどれだけ多く持ち、その状況に応じて適切な「経験則」をどれだけ素早く引き出してリスクを回避できるかが重要だと思っています。最新のギアや素材であっても、それ自身は決して自分の身を守ってくれません(人間の使い方次第ですから…)。その一方で、「経験則からくる過信」も慎まねばならないと思ってます。
by Umi-Bozu (2010-10-02 18:35) 

asa

≫ Umi-Bozu さん
そうですよね。宝の持ち腐れでは何もならないということですね。
ちなみに、この本によるとフリースやダウンを持っていても着込んでいなかった人がずいぶんいて、羽根田氏は「レインウエアは防寒着ではない」とも書いていました。
by asa (2010-10-03 06:20) 

hayazou2002

こんばんは
ヤマケイで今回の遭難の記事
読みましたが、ツアー登山の限界を
感じました。まず実力が分からないもの同士で
パーティーを組んで色んな危険をすべて回避するのは
不可能だと思います。
客は自分たちだけで行けないからツアー登山に頼るわけだし
そこで商売が成立するわけですからガイドさんはガイドであって
リーダーでは無いです。そこに利害関係があり、基本は
客の方が立場的に上だからです。
3000m級の山は基本的に、無理だと思います。
いくらいろんなことを決めても自然相手なので
又何年かすれば起こってしまうと思います。
by hayazou2002 (2010-10-03 20:37) 

asa

≫ hayazou2002 さん
私も、ツアー登山には限界があると思います。
遭難時、同じ時間帯に同じコースを歩いたハイキングクラブは一人の犠牲者も出していないことを見ればよくわかります。

by asa (2010-10-03 22:30) 

山子路爺

こんにちは。
専門家の方々が色々述べているので、この事故に関するコメントは控えます。
以前、今日会ったばかりの20人程のお客を1人のガイドと1人のコーディネーターで組んだパーティに会いました。2泊3日の旅ということでした。
お客さんは楽しそうでしたが、ガイドさんは大変だなあと思いました。
この3日間を何事も無く済んでくれればと思っているのではないかと想像しました。
日本では山岳ガイドで飯を食っていくのは大変なことでしょう。旅行社から以来があれば「NO」とはなかなか言えないのではないでしょうか。
旅行社のほうも、なるべく沢山の人を効率よく連れて行かなくては儲けが出ないでしょう。
安全を担保するとするなら、単価を上げざろう得ません。さてお客は来てくれるでしょうか。私は来ると思うのですが……。
長たらしいコメントでスイマセン。

by 山子路爺 (2010-10-06 16:15) 

asa

≫ 山子路爺 さん
いずれにしても、羽根田氏のいうようにツアー登山は現状では問題が多いことは確かですね。
by asa (2010-10-07 13:25) 

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