SSブログ

さすらう冒険行の始まり~山の図書館 [山の図書館・映画館]

さすらう冒険行の始まり~山の図書館


「裸の大地 第一部 狩りと漂泊」(角幡唯介著)


 冒険とは何か。角幡はいつも、こう問いかける。高い山に登ることが冒険なのか。未踏の地に踏みこむことが冒険なのか。確かにこれらは必要な条件かもしれないが十分な条件ではない。例えば角幡は対談・エッセイ集「旅人の表現術」で、こんなことを述べている。
 偉大な先達・本多勝一の定義を下敷きにしつつ「冒険とは体制(システム)としての常識や支配的な枠組を外側から揺さぶる行為でなければならない。(略)反逆的な方法で新しい世界に飛び出して可能性の扉を開き、時代の体制(システム)をぶち壊さなくてはならないのだ」―。
 その前段として、エベレスト登山が多くの人の目に冒険とは映らなくなった理由を挙げている。「登山の戦略が完全にマニュアル化し、そのマニュアル通りに事を進めることが登頂につながる最大の近道になってしまったのだ」
 私たちは高山に登るとき、事前にさんざん地図を眺め、地形を頭に叩き込み、標準的な所要時間を調べ、無理のない日程を組み立てる。それが、安全登山のために推奨される。我々のレベルでは、それは正しいことだろう。
 しかし、冒険家を名乗るには、それは正しいことなのか。ここに角幡の問題意識がある。点から点への移動を目標とし、できるだけ効率的にこなす。得られるものは何か。サミットハンターとしての満足感か。困難なゴルジュを突破したことの、沢ヤとしての満足感か。もちろん私を含め、こうした行為を否定するものではないが、角幡はその先へ行こうとする。そうした思想の「いま」を全面展開したのが、この一冊である。

 表題に「裸の大地」とある。前述したような、我々が事前に入手しうる知識をできるだけオフにする。北海道・日高で行った旅では、食糧はおろか地図さえも持たず山に入った。目の前の山々の向こうに何があるか、行ってみなければわからない。事前に知識を仕入れていれば、山や滝を越えれば何があり、テントを張れるポイントまでどのくらいの時間がかかるかもある程度計算できる。つまり、先が見える。しかし、地図もなく地形の予備知識もなければ、ただ山があるばかりである。それは圧倒的な存在感を持って迫り、人間は卑小な存在になる。「裸の大地」の意味するところであろう。
 食糧も持たないので、自然界から獲得しなければ先に進めない。どれだけ前に進めるかは、事前の計画によってではなく獲物次第となる。表題の後半「狩りと漂泊」の意味するところである。
 角幡は201612月から翌年2月にかけ、北極圏を旅した。全行程ヤミの中という、おそらく角幡以外誰も思いつかないであろう冒険の旅である。見えない極寒の氷原を行く恐怖は、我々には想像がつかない。そのグリーンランドを、20183月から5月にかけ、一頭の犬とともに歩いた。今度は白夜の旅である。最小限の食糧を持ち、途中でジャコウウシやアザラシ、ウサギを手に入れ、可能な限り北へ向かう。行程は、獲物を手に入れることを前提に組まれる。「点と線の冒険行」ではなく「さすらう冒険行」が始まる。
 白夜の氷原で角幡はこう考えた。夜昼の区別のない世界。疲れれば起きる時間を遅らそう。出発もずらす。翌日に疲れを残さないため、歩行時間は過剰にならないようにする。すると、どんどん行程は後ろの時間へとずれていく。その中で124時間という時間枠は守る必要があるのか。時間とは何か―。「近代」を突き抜ける思考。それは「冒険」という概念を形成する「近代」への問いかけでもある。

 ノンフィクションは、沢木耕太郎らによってニュージャーナリズムの世界へと足を踏み入れた。人物の航跡をトレースするだけでなく、その航海でどんな魂の揺らぎを見せたかを、文字にする。沢木らの功績はその点にあった。間違いなく困難な仕事であるが、その困難さの多くは、記録者と行為者が別主体であることに由来する。角幡はその一人二役を特権的にやって見せる。冒険家が文章を書くのではなく、冒険家であり文学者(もしくは思想家)である。恐るべき力業だ。
 新潮社刊、1800円(税別)。



裸の大地 第一部 狩りと漂泊 (裸の大地 第 1部)

裸の大地 第一部 狩りと漂泊 (裸の大地 第 1部)

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2022/03/25
  • メディア: 単行本




nice!(5)  コメント(2) 

nice! 5

コメント 2

Jetstream

興味深く拝見しました。
そうですよね、冒険家は技術者でなく文学者(思想家)、記録でなくストーリーが楽しいですね。
by Jetstream (2022-11-09 22:54) 

asa

> Jetstreamさん
読んでいただきありがとうございます。そうなんですよね、冒険は技術論ではなく、壮大なロマンであるべき―角幡唯介の言わんとするところは、そういうことだと思います。
by asa (2022-11-10 15:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。