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歴史ミステリーと山岳ノンフィクションの味わい~山の図書館 [山の図書館・映画館]

歴史ミステリーと山岳ノンフィクションの味わい~山の図書館


 「剱岳―線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む」(高橋大輔著)

 剱岳に、一度だけだが登った。もう20年も前のことだ。雷鳥沢で雨に降られたが、剣山荘に一泊し翌朝、別山尾根に取り付くころには晴れた。小休止するたび、剣沢と立山連峰がよく見えた。
 剱岳を扱った小説に新田次郎の「剱岳<点の記>」がある。冒頭に「点の記とは三角点設定の記録である」とある。明治40年、地図上の空白地帯であった剱岳に測量用の三角点を設けた柴崎芳太郎の苦闘を描いた。終盤、意外な展開を見せる。前人未踏と思われた頂に古い錫杖の頭と剣が置かれていた。初登頂はならなかったが至上命令は果たした、という柴崎の感慨で小説は終わる。
 「ふんふん、なるほど」と読了したが、世の中にはそれで終わらない人もいる。錫杖頭と剣はいつごろ誰が置いたのか。頂まで、どのルートをたどったのか。何のためだったのか。そんな疑問を解明したのが「剱岳―線の記」である。あらかじめ断っておけば、著者の高橋氏は自身、登山家ではなく、しいて言えば探検家だという。つまり、登山ルートだけを技術的に追っているわけではない。探検のフィールドは剱岳とその一帯にとどまらず、麓の宗教事情、山岳信仰をめぐる歴史的な事実、国家護持の思想にまで及ぶ。
 立山曼荼羅で知られる立山連峰は早くから信仰の対象として知られた。剱岳は単独で信仰の対象とはならず、むしろ地獄の山と位置付けられ対照をなす存在だった。それはなぜか。
 こうした謎を根気よく解いていく中で、剱岳への登頂ルートが絞り込まれていく。柴崎ら一行は積雪の長次郎谷をたどったことが明らかになっているが、デザインなどから錫杖頭が平安期のものとすると、そのころ急峻な岩稜をいくことは不可能だったと著者は推測する。残るのは別山尾根か早月尾根になる。別山尾根は今でこそ一般ルートだがカニのたてばい、カニの横ばいを鎖などの補助金具なしで通るのは困難である。早月尾根は登山口の馬場島から山頂まで標高差2200㍍。今でも、長大さを敬遠する向きもある。平安期にこのルートを登りきれたのか…。
 カギは麓からの眺望と、そこに成立した仏教宗派にある。室堂からは見えない剱岳が、正面に見える地点がある。早月尾根に至る上市町である。この地域では真言宗が盛んだった。ところが、立山信仰では天台宗の芦峅寺、岩峅寺に光が当たり、真言宗はわき役となった。このことが立山曼荼羅を前面に押し出し、剱岳を「登ってはならない山」とする思想を生み出した。
 なぜ、このようなことが起きたか。著者は、江戸期の加賀藩が軍事的な理由から宗派の野性的な部分を削ぐため芦峅寺、岩峅寺に山岳信仰を一本化した、とみた。
 ここまでくれば、タイトル「線の記」の意味が分かる。三角点設置の足跡を追った「点の記」に対して、登頂ルートを追ったのが「線の記」というわけだ。しかし、著者はもう一つの意味を付加する。平安期と明治、国の骨組みが形成されたころ、使命観に燃えて命を賭した探検家2人が剱岳を介して一本の糸で結ばれた、そうした「線の記」でもあるのだ、と。
 上質の歴史ミステリーと、山岳ノンフィクションの味わいを持つ、楽しい一冊。剱岳初登頂ルートを探る高橋氏の活動は、2018年にNHKが取り上げた。見た方も多いだろう。
 朝日新聞出版、1700円(税別)。


剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む

剱岳 線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む

  • 作者: 髙橋 大輔
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本
新装版 劒岳 ―点の記 (文春文庫)

新装版 劒岳 ―点の記 (文春文庫)

  • 作者: 新田 次郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/01/10
  • メディア: 文庫

nice!(16)  コメント(2) 

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コメント 2

Jetstream

私は早月尾根から登りましたので、大変興味深く拝見しました。
by Jetstream (2020-12-10 21:43) 

asa

> Jetstream さん
ありがとうございます。早月尾根から…なかなか勇気がいりますね。私は別山尾根を往復し剣沢を下って仙人池に回りました。裏剣は絶景でした。もう一度いってみたいとは思いますが、もう無理ですね。
by asa (2020-12-12 10:49) 

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