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「闇」の中の「己」を文字化する稀有な能力 [山の図書館・映画館]

「闇」の中の「己」を文字化する稀有な能力~山の図書館

 

「極夜行」(角幡唯介著)

 

 北極圏に出現する「極夜」を旅した記録である。したがって、闘った相手は闇そのものである。いや、正確に言えば、4カ月間続いた極夜の中の単独行で己がどのように変質するかを、すべてをさらけ出しながら追求したノンフィクションである。つまり、書くべき対象は「闇」そのものであると同時に「己」であった。探検ノンフィクションは、普通はどれだけ過酷な条件=自然を生き抜いたかを描き出す。背景としての「環境」が存在し、環境と己の関係性が文字によって刻まれる。場合によっては、そこに「死」が介在するかもしれない関係性である。

 しかし、角幡がここで挑んだものは「闇」である。闇はすべての自然を不確かなものにする。氷原のかたち、巨大なクレバス、そこに生きる動物たち、すべてが闇の中に溶解して不確かとなり、意味はあいまいになる。そこには、苛烈な自然とは別次元の「もがき」が生まれる。

 角幡はなぜ、こうした「探検」に挑んだのか。彼は、脱・社会システムの観点を提示する。

 ――探検というのは要するに人間社会のシステムの外側に出る活動です。

 かつては地図の空白地帯を埋めるのが「探検」だったが、いまや地球上にそうした空白地帯はなかなかない。そういう中で、4カ月も続く極夜の旅は「探検」に値するのではないか―。

 こうして角幡は北極圏に、地図上の空白とは違った意味の未知の領域を求めて探検の第一歩を踏み出した。

 旅したのはカナダ対岸、グリーンランドの北緯78度から79度の領域である。この氷床とツンドラ地帯を単独行で越えること自体、酷寒とブリザードとの闘いであるのだが、角幡の探検の核心はそこにはなく「闇」との闘いにある。期間は12月初旬から2月中旬にかけて(現地への到着は11月上旬)。連れはイヌイットの村で分けてもらった犬一頭。探検の狙いが「脱システム」にあることから、GPSは持たない。極夜の星の位置が、氷床での位置を確定する唯一の材料となる。当初は六分儀を使うことを考えたようだが、誤差が生じるために断念する。

 こうして旅は、シオラパルクというイヌイットの村から氷河を越え、ツンドラ中央高地を越え、イヌアフィシュアクというデポ地に向かう。ここではデポ資材がシロクマによって荒らされていることが、巡回のデンマーク隊によって発見、連絡されていた。しかし、付近に英国隊によるデポ資材があるという情報が入り楽観していたのだが、これもシロクマに荒らされていたことが判明する。探検を続行するための絶対的な食糧が足りない。どうする…。

 闇と酷寒と強風の中で、予期せぬことが次々と起きる。ついに、同行する犬を食って村に帰還することも視野に入れる…。

 闇の中をさまよった角幡は、強烈なブリザードの果てに4か月ぶりの太陽が昇るのを見た。「唖然とするほど巨大」で「美しい太陽」である。おそらく角幡は、極夜行の果てのこの太陽を見たかったのだ。いったん人間社会の外に飛び出し、再び人間社会の内に戻ってくる瞬間。その時、人間は何を感じるか。それを体感したかったに違いない。

 しかし、それにしてもなんと延々と続く七転八倒。「空白の五マイル」は地図の空白地帯でもがく旅だったが、ここにあるのは地の果て、太陽のない世界でもがき苦しむ旅である。そして、何よりも得難いと思われるのは、「闇」という文字にしがたい世界を文字にする能力と、酷寒の地を旅するという身体的能力を併せ持つ角幡という稀有な存在である。そのことをあらためて思い知らされる一冊だ。まぎれもなく「空白の五マイル」と並ぶノンフィクションの傑作が生まれたといっていい。

 文芸春秋社、1750円(税別)。

 

極夜行

極夜行

  • 作者: 角幡 唯介
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/02/09
  • メディア: 単行本

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