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山があってよかった~山の図書館 [山の図書館・映画館]

山があってよかった~山の図書館

 

「街と山のあいだ」(若菜晃子著)

 

 私たちは、いつも名のある山に登っているわけではない。むしろ、名もない低山に登ることのほうが多い。深田久弥は「百の頂には百の喜びがある」といったが、それは名もない低山にも当てはまる。どんな山にも味わいがあり、歩く喜びがある。そのことをエッセーにまとめたのが、この「街と山のあいだ」である。

 著者は「山と渓谷」の副編集長を経て独立。山や旅に関する雑誌を編集したり、随筆を書いたりしているらしい。こう書くと山や自然のスペシャリストに見えてしまうかもしれないが、自身初の随筆集と銘打ったこの本を読むかぎり、そんな雰囲気はない。「山登り」がテーマだから山に関する文章が圧倒的に多いのだが、舞台は例えば槍ヶ岳や穂高連峰といった誰もが知る山ばかりではない。ことさら構えてではなく気軽に登った山の、その山にしかない味わいがつづられている。

 どこにでもある山に登った話だから、危険な個所を突破したとか、苦しい崖を登り切っただとか、そんな自慢話は出てこない。山行のようすが淡々とつづられ、出てくる花もチングルマだったり、イワツメグサだったり、せいぜいマツムシソウで、その辺りの山で出会える花ばかりである。それでも読むものを引き付けるのは、著者の山への愛がにじみ出ているからだろう。

 

  ――人生に山があってよかった。

  私はそのことに心から感謝して、山を下りていった。(「誕生日の山」)

 

 こうした著者のまなざしを感じながら読めば、そこかしこに「そうだよね」とつぶやきたくなるシーンやセンテンスが出てくる。例えば

 

 ――大杉谷の登山道は長い。下るだけでも半日以上かかる。私は雨の中をいつまでも歩い  ていたい気持ちで、山を下っていった。(「雨の大杉谷」)

 ――山の大小にかかわらず、人間はいつだって地上のはかない一点でしかない。それはまるで先ほどさくさくと音を立てて崩れていた無数の霜柱のように。(「箱根の雪」)

 

 「山の道具」の章では「身の丈サイズというのが大事なのだ」と書いている。山登りもまた「身の丈サイズ」が大事なのだ。そうすれば山は私たちに豊かな時間を与えてくれる。著者が言いたいこともきっとそうだと思う。

 

 ――低山歩きでは好きなように時間を過ごすことが許されている。そこに流れている山の時間は、いつも自分が過ごしている時間と全く違う次元のものだ。そのことを知るだけでも、その時間を過ごしに行くだけでも充分である。山ではふだん目に入らなかったものを見、思いもしなかったことを思う。人は案外、そんなときの些細な出来事を忘れない。(「低山の魅力」)

 

 どこにもない山を、ではなく、どこにでもある山の魅力を書いた一冊。

 1600円、アノニマ・スタジオ。


街と山のあいだ

街と山のあいだ

  • 作者: 若菜晃子
  • 出版社/メーカー: アノニマ・スタジオ
  • 発売日: 2017/09/22
  • メディア: 単行本

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