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一見軽そうだが内容は深い~山の図書館 [山の図書館・映画館]

一見軽そうだが内容は深い~山の図書館

 

「地図のない場所で眠りたい」(対談:高野秀行・角幡唯介)

 

 「謎の独立王国ソマリランド」や「アヘン王国潜入記」の高野と「空白の五マイル」や「アグルーカの行方」の角幡による対談。ともに探検家・冒険家であるとともにノンフィクションのライターである。そしてもう一つの共通項は早大探検部のOBであること。外形的には似通っているが作家としての資質、出来上がった作品の手触りはまるで違う。10歳違い(高野の方が年上)の二人が、それぞれどこがどう違い、どこが似ているかを相互分析、自己分析を交えて語り合った。帯に「自身の〝根っこ〟をさらけ出し、語り合った」とあるが、この言葉がピタリの対談である。

 「探検」と「冒険」の違いについて、二人はこういっている。

 角幡「探検というのは基本的に土地の問題だと思っているんです。いっぽうで冒険というのは人の物語」

 高野「冒険って枠がちゃんとあってさ。その範囲がはっきりしている」

 角幡「「探検はテーマと場所が与えられているだけで、そこで何をしたらいいのかというのは個人の工夫になってくる」

 角幡はさらに「冒険か探検かは切り取り方の問題」とも言う。二人の作品を見ると、角幡のそれは「冒険」色が強く、高野のそれは「探検」色が強いように思えるが、あくまでも、おしなべての話である。個別の作品に触れれば、それぞれに思いはある。その中で角幡が、自身の代表作「空白の五マイル」と「アグルーカの行方」をどう見ているかは興味深い。一見して「アグルーカ…」は構成の妙、文体の洗練ぶりにおいて優れていると思われるが、角幡は「空白の…」を訴求力の点で超えられなかったと感じている。これはその通りだろう。作家は往々にして、世に出た最初の作品を次作が超えられないということが起きるが、角幡の場合もそうかもしれない。

 二人の作品はノンフィクションというジャンルに属するが、周辺分野であるジャーナリズムやフィクションとの比較も試みている。一見すると高野はジャーナリズムに近く、角幡はフィクション(小説)に近いとみられがちだが、それぞれ自身の見立てはどうか。

 高野は、ジャーナリズムとして見るには「自分が出すぎている」と感じているし、角幡は「空白の…」を書き終えた時、「これはノンフィクションなのか」と思ったという。

 角幡はこの感覚について「旅人の表現術」の中の沢木耕太郎との対談でさらに詳しく述べている。

 「書くことを意識してふるまう。これは行為者としてどこか不純なんじゃないかとも思うんです」

 あらかじめ書くことを意識して行為の段階から「編集」しているのではないか。それは、ノンフィクションと呼べるものなのか。

 書くことの不純性―。この問いは、行為者=書き手である角幡ならではの悩みでもあるようだ。

 一方、高野の前出のセリフについては、こんなやりとりもある。

 高野「俺がジャーナリズムという方向に行かないのは、主義主張とか議論で話を見せたくないから」

 角幡「じゃあ、意識する相手はジャーナリズムより小説ですね」

 高野「そうだね」

 一見したよりもずっと内容が深い一冊である。

 講談社文庫、680円(税別)。

 

地図のない場所で眠りたい (講談社文庫)

地図のない場所で眠りたい (講談社文庫)

  • 作者: 高野 秀行
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/10/14
  • メディア: 文庫
 

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