中国山地幻視行~雪の経小屋山 [中国山地幻視行]
中国山地幻視行~雪の経小屋山
7世紀の中頃、白村江の戦いというのがあった。倭国・百済連合軍対唐・新羅連合軍の戦いである。敗れた天智天皇は、唐の侵略を恐れ防衛網の強化に腐心したという。朝鮮半島から倭国へのバイパスにあたる瀬戸内海は重視された。いまでも沿岸には、逃げてきた百済の将兵とともに築いたという朝鮮式山城が散在する。
広島・大野町、厳島の対岸にある経小屋山の開山も、そのころかららしい。瀬戸内海を横断する敵の軍勢を防人らが見張る監視所が山頂につくられ、経文が備えられたことから、山名が定まったといわれる。
この山の標高は、600㍍にわずかに届かない596.6㍍である。しかし、海に面しているため、眺望はとてもいい。広島湾と、沿岸の街並みが眼下に開ける。戦時中には軍の監視所があり、戦後もしばらくは消防の見張り台があったという。
この山に登るのは、初めてである。車で楽に上がってしまえるからだ。実は頂まで立派な舗装道路があり、おそらくは戦中に軍がつけたものであろう、それが登山意欲をそいできた。
西日本を大寒波が襲った。当初、中国山地の奥へと向かう予定だったが、これでは四駆といえどもおぼつかない。急きょ、海沿いの山へと方針を変え、この山を思いついた。
広島市の西方、宮島口をさらに西へ進むと、山のふもとに大頭神社がある。その裏に妹背の滝という二つの滝がある。それを左右に見ながら、山に入る。しばらくは白く凍った林道が続く。突き当たりは三叉路となる。右は経小屋山、左は城山である。右手の登山道に入る。しばらくはだらだら坂だが、やがて急登になる。さらに階段状の道へと変わる。1時間も辛抱すると、「遊歩道」の標識が現れ、そのまま進むと舗装した道路に飛び出る。目の前に、あずまやが立つ。周囲の広場は白く雪化粧している。気温3度。わずか600㍍の山とはいえ、登山口はほぼ海抜ゼロ㍍である。正味を登らねばならないから、結構しんどい。
帰路は経小屋山の海側にたたずむ城山を通った。山頂には門山城跡がある。200㍍強の標高しかないが、山の周囲は懸崖で囲まれている。おそらく山城を構えるのに最適と考えたのだろう。鎌倉時代以降、厳島神領の護衛が任務だったと考えられている。もちろん、城の面影はなく、わずかに柱穴が当時をしのばせるのみである。
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