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精緻なパズルのような [山の図書館・映画館]

精緻なパズルのような


「生還者」(下村敦史著)


生還者.jpg 大事故や大災害、あるいは戦禍をくぐり抜け生き延びた人たちには、ある種のPTSDが宿るという。「サバイバーズ・ギルト」―。自分一人が生き延びたことへの罪の意識である。

 標高8000㍍を超すヒマラヤ・カンチェンジュンガ。写真でしか見たことはないが、その姿は圧倒的なスケールを思わせ、壮大である。同時にこの山は、インド・ダージリンという早くから拓けた地から比較的身近に眺められる山としても知られる。ぜひ一度見に行きたいものだ。といっても、山頂付近は容易に人跡を寄せ付けない。近年になっても遭難事故が起きている。つまり、この地はある種の「密室」なのである。

 サバイバーズ・ギルトと密室。この二つの要素を組み合わせて書かれたのが、この「生還者」である。

 山岳を舞台にしたミステリーは数多くあるが、その中でこれほど精緻に組み立てられた作品を他に知らない。諜報戦に材をとることの多いジョン・ル・カレを思わせるほどだ。何か足りないものを上げるとすれば、カレの作品にある極上のワインの香りのような豊潤さであろうか。単に「香り」といっていいかもしれない。それがあれば下村は、永遠に読者の心を離さないであろう。

 増田直志の兄・謙一は登山家だが、この4年間「山」を絶ってきた。その彼がカンチェンジュンガに向かい、遭難する。なぜ突然、山に向かったのか。彼を長く山から遠ざけていたものは何か。

 その同じ山で同じころ、別の遭難事故が起きる。そこから生還した高瀬正輝は、二つのグループに交錯する加賀谷義弘を「命の恩人」とたたえる。そして、いまだ不明の加賀谷の発見を訴える。それは同時に、グループ内で加賀谷と決別したと思われる謙一の否定につながっていた。

 その後、謙一のグループの中で不明だった東恭一郎が奇跡の生還を果たす。彼は高瀬とは正反対に、加賀谷の行動を全否定する。

 カンチェンジュンガで何があったのか。そこに集まった男たちの心中に何があったのか。彼らはすべて、過去の体験の中で「傷」を追っていたことが分かってくる。何が彼らをカンチェンジュンガという密室で「交錯」させたのか。なぜ、生還者たちの証言は180度違うのか。誰かが嘘をついているのか。4年前に何があったのか。

 その謎が、直志らの手によって最終局面で一気に解ける。キーワードは、冒頭に書いた「サバイバーズ・ギルト」である。



「生還者」は講談社刊、1600円(税別)。初版第1刷は2015721日。下村敦史は1981年京都府生まれ。高校を退学後、大検合格。2014年に「闇に香る嘘」で江戸川乱歩賞。同作品は「このミス」2015版3位。


生還者

生還者

  • 作者: 下村 敦史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: 単行本

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