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「百年前の山を旅する」(服部文祥著) [山の図書館・映画館]

「百年前の山を旅する」(服部文祥著)


 著者は山岳雑誌「岳人」編集部に所属しながら
K2登頂など、いわゆる先鋭的な「登山」を経験。その後、装備を切り詰め、食糧もテントも持たず山に入る「サバイバル登山」を始めた。なぜか。その動機の部分が、この一冊に込められている。

 「序」にあたる「過去とシンクロする未来」から。

 ――登山とは、あるがままの大自然に自分から進入していき、そのままの環境に身をさらしたうえで、目標の山に登り、帰ってくることだ。自分の力ではできないことを、自らを高めることなしに、テクノロジーで解決してしまったらそれは体験ではない。(略)だから登山者はできる限り生身であるほうがいい。昔の山人のように――。

 現代の登山者である我々は、雨が降ればゴアテックスの雨着を着る。ガスコンロを使えば、即席で胃袋を満たせる食糧もある。暗くなれば周囲を照らすヘッドランプもある。軽量で快適なテントやシュラフもある。これらが進歩すればするほど、山の闇や天候不順、食糧が手に入れられなかった結果としての空腹感、それらがもたらす恐怖と距離を置くことができる。それでいいのだろうか。山はきちんと畏怖すべき存在ではないか。そうでなければ山と向き合ったことにならないのではないか。そう言っている。

 
100年前の山.jpg


 1909年、田辺重治と小暮理太郎が高尾から奥多摩へと縦走した。日本での縦走の記録としては最も古いものだという。「天幕も寝具もリュックも水筒もなく、肩掛け鞄に米と佃煮とナベだけを入れ」、現代の感覚からすれば「無謀登山」とも思える山行を服部は実行する。

 「私達の辿っている尾根が、やがては三頭山に連なることが進むにつれ明らかになった」―。

 100年前のこの記述に、著者は「しびれた」と書く。地図が一般に手に入るようになったのは1913年。二人は地図も持たず縦走に挑んだのだ。このように、ほぼ徒手空拳で山に挑んだ昔の人たちは肉体的、精神的に強かったのだろうか。服部の見方は少し違う。

 ――肉体的なちがいではなく、その肉体をどう使うのかという世界観が現代と100年前とは根本的に違うのだ。

 たとえば二人は奥多摩から青梅まで半日で歩き、帰京している。現代人なら苦痛だろう。しかしそれは、単に鉄道が青梅までしか通っていなかったからではないか。彼らにとっては当たり前だっただけで「強さ」とは関係ないと言う。ただ、文明の利器に頼る我々の山行と、自力だけを頼って山に入る彼らと、どちらが自由だろうか、というのが著者の根本的な問いかけである。

 この一貫した問いのもとに、1915年の笛吹川遡行(「日本に沢登りが生まれた日」)、1912年のウェストン、上條嘉門次らの奥穂高岳南稜登攀(「ウェストンの初登攀をたどる」)などが追体験される。

 解説は角幡唯介。「人はなぜ山に登るのか。(略)この解答困難な謎にあえて正面切って挑み、その答えにかなり肉薄している数少ない登山家」としたうえで「(服部が)現代登山の枠組みの外側に飛び出すことを選択」することで、我々は「現代社会の表裏をあぶり出す、きわめてすぐれた文明批評」を手に入れたと指摘する。


 「百年前の山を旅する」は新潮文庫。初版第1刷は201411日。630円(税別)。著者は1969年神奈川県生まれ。96年から「岳人」編集部。著書に「サバイバル登山家」など。

百年前の山を旅する (新潮文庫)

百年前の山を旅する (新潮文庫)

  • 作者: 服部 文祥
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/12/24
  • メディア: 文庫



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コメント 1

Umi-Bozu

これは面白そうですね。買って読んでみます。
by Umi-Bozu (2014-03-30 20:03) 

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