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山の図書館~「単独行者 新・加藤文太郎伝」谷甲州著 [山の図書館・映画館]

山の図書館~「単独行者 新・加藤文太郎伝」谷甲州著  


 「孤高の人」(新田次郎著)は長い間、私の愛読書であった。常人ではない足跡にあこがれたのである。加藤文太郎のように歩きたい。そう思っていた。いつしか、私の山を歩くスタイルも「単独行」になっていった。しかし、加藤文太郎のような「超人」にはなれなかった。

 「その不死身の彼は実際は不死身ではなかったのですね」
 「いや、不死身であった。彼は山で死ぬような男ではなかった。彼は極めて用心深く、合理的な行動をする男であった。いかなる場合でも、脱出路を計算したうえで山に入っていた」

  槍ヶ岳の北鎌尾根で命を絶った加藤文太郎について、「孤高の人」文頭に置かれた問答である。しかし本当に「不死身」で「合理的」な男だったのだろうか。加藤は吹雪の中でも合羽をまとい、雪中ビバークをしたのだという。 

 (途中で天候が悪化したらどうする)
 第一の加藤がいった。
 「雪洞を掘ってビバークするさ」
 第二の加藤が答える。
 (寒いぞ、ものすごく寒いぞ)
 「寒いことには馴れている。食糧はある」
 (だが吹雪が、二日も三日も続いたらどうする)
 「天候回復まで待つさ」
 (「孤高の人」から) 

 加藤自身が書いた「単独行」を読んでみる。兵庫・氷ノ山での出来事である。 

 しかしスキーは下手だし、半分眠っているような状態でどうして満足な滑降ができよう。ちょっと辷ってすぐ自分から身体を投げ出すようだった。あまり苦しいので、歩いて下ったほうが楽に違いないと思って、スキーをぬぎ、それを一つずつ谷へ向かって辷りおろした。(略)そして僕は、もう駄目だ、ついに自分にも終わりがきたのだとこう思い出した。そして死ぬということが非常に恐ろしくなり、悲しみの声をあげて泣いた。 

 そして、谷が「単独行者」でも取り上げている、加藤自身が記述した八ヶ岳での心象。 

 なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に凍るような寒さを忍び、凍った蒲鉾ばかりを食って、歌も唱う気もしないほどの淋しい生活を、自ら求めるのだろう。―― 
 
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 一人の人間をめぐって、新田が描いたデッサンと加藤自身が描いたそれとは大きなギャップがある。新田は明らかに、加藤が記した心象風景をそぎ落としているように見える。もちろん「孤高の人」はフィクションであるから、新田が基本的な作法を誤ったわけではないし、新田が描く加藤文太郎はそれなりに魅力的でもある。
 ただ、私のように「人間みんなちょぼちょぼ」と思っているものからすると、等身大の加藤文太郎も見てみたい気がするのだ。 

 谷の「単独行者」の末尾には主要参考文献が載っている。しかしここには「孤高の人」はない。このこと一つとってみても、谷がどのようなスタンスで加藤文太郎を描こうとしたかが分かる。

 「第三話 はじめての冬山」。ここには氷ノ山でスキーを持て余したこと、八ヶ岳で年を越しながら凍った蒲鉾を食ったことなどの心象が入念に書き込まれている。「第四話 一月の思い出」は正月の剱岳を目指す話である。ここでは、5人のパーティーと麓の小屋で顔を合わせる。同行をしたいが、うまく言えない。付かず離れず行動するうち、パーティーからはうとんじられる。彼らが歩いた後をたどれば「ラッセル泥棒」と言われかねない。 

 「失敬な奴だな。こんなところまで、追いかけてきて――」
 あとの言葉はききとれなかった。それでも加藤に対する敵意だけは、明瞭に伝わってくる。(略)ラッセルのことなど口に出せる雰囲気ではなかった。

  みずから望んだ単独行なのに、なぜそれに徹することができないのか。(略)自分の弱さが不甲斐なくて、腹立たしかった。(略)気がつくと、視野が涙でにじんでいた。正面から吹き付ける風のせいで、流れ落ちる間もなく涙が凍りついた。

  加藤文太郎は不世出の登山家であることは間違いない。その彼をここまで弱い男として描くのはどうだろうか、という思いもしないではない。しかし、強さは時に折れてしまうが弱さはしたたかである。谷が描きたかったのはそういうことだろうと思う。そして加藤は単独行を自らの登山スタイルとしたが、厳冬期の北鎌尾根だけはパートナーを連れて登った。それが、最期の登山となった。

  だから、怖かった。「人数が増えれば危険は増大する。もっとも安全なのは単独行」という原則は、やはり生きていたのかもしれない。かといって、単独行に戻るのは安易すぎた。意欲的な登攀を実践するには、単独行という枠組みは窮屈になっていた。(「第九話 北鎌尾根」) 

 初めて「単独行」でない登山を実践し、それが加藤の思考を狂わせた、という「孤高の人」の想定はおそらく正しいと思われる。しかし、それは「単独行」を貫けばよかった、ということには結びつかないだろう。もっと複雑な思いが加藤にはあったように思う。谷が描こうとしたのも、最終的にはそこだと思う。 

  「単独行者 新・加藤文太郎伝」は山と渓谷社刊、2500円(税別)。初版第1刷は2010年9月30日。著者の谷甲州は1951年、兵庫県伊丹市生まれ。1981年、カンチェンジュンガ学術登山隊参加。1996年、加藤文太郎をモデルにした「白き嶺の男」で第15回新田次郎文学賞。山岳小説では「遥かなり神々の座」「遠き雪嶺」などがある。


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コメント 2

hayazou2002

冬の氷ノ山は2,3回登りました。
昔山岳会の人に加藤文太郎を知らないと言ったら、
もぐりだなと言われたのを思い出しました。
by hayazou2002 (2010-10-18 22:29) 

asa

≫ hayazou2002 さん
冬の氷ノ山はまだ登っていません。加藤文太郎を知らないと言ったら、やっぱりもぐりですね。
by asa (2010-10-19 07:07) 

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