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山の図書館~「雨過ぎて雲破れるところ」(佐々木幹郎著) [山の図書館・映画館]

「雨過ぎて雲破れるところ」(佐々木幹郎著)

 舞台は浅間山の北西約10㌔、標高1300㍍に建つ山小屋。詩人である著者と地域の人たちとの交流がつづられる。
 変な言い方だが、全編の基調は「まじめに遊ぶ」ことの追求である。そのことによる解放感。だから、例えば焚き火一つとっても、こんな風になる。
 「風には『風の目』というものがある。必ずそれは燃え上がった焚き火の、木を組んだ隙間の一点だけにあるから、焚き火の炎の形と向きによって、風の目を見つけるのだ。その一点をめがけて、団扇でゆっくりとあおぐ。そこを外して、他の方向から団扇を使うと、いくら力強くあおいでも、かえって火は弱まってしまうのだ」
 手に入れたカジカで骨酒をつくる。焼き具合にこだわり、天日に干す。
 「一口飲んで、全員が感嘆の声をあげた。なんというふくよかな甘さなのだろう」
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「雨過ぎて雲破れるところ」(みすず書房刊)

 53歳で亡くなったフォークシンガー坂庭省吾との交友を記した一章では「六〇年代末の大学生時代」に「歌声で戦うというその方法が馴染めなく」「黙って身体を動かすというほうに魅入られていた」と「その頃、フォークの世界と縁遠かった」自らの若かった時代に触れている。この時代の体験が、山小屋「空間」の方向を形作っているように思える。
 中原中也研究で知られる著者とフォークシンガー小室等との交流では、中也の詩「サーカス」に小室が音をつける。「これまで聴いたことのない、やわらかな『サーカス』」で「一番いい!」と叫び「まるで二十年ほど前からの友人だったような感覚」に陥り、明け方まで飲んで騒ぐ。装丁の帯にある「詩人のコミューン」が出現する。
 東京芸大の学生が山小屋を訪れてコンサートをしたときのこと。村の子供たちも参加する。翌日、子供たちが芝生で水を掛け合って遊んでいた。服が脱ぎ捨ててある。「少女たちは音楽とダンスですっかり身体を解放され、最後は裸になってしまったのである」
 タイトルは中国の「雨過天晴雲破処」から。雨上がりの空の新鮮な青。青磁の理想の色を表す。アジアを放浪する視線の一端が分かる。
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水郷楽人

まじめに遊ぶ。。なるほど!!と思ってしまいました。
by 水郷楽人 (2009-12-13 09:18) 

asa

水郷楽人さんありがとうございました。
本の装丁にあるように「よぼよぼの老人になっても」遊びの精神を忘れないようにしたいものです。

by asa (2009-12-16 09:28) 

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