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山の図書館~「凍」(沢木耕太郎著) [山の図書館・映画館]

 山の図書館~「凍」(沢木耕太郎著)

 わずかに8,000㍍峰に届かず、エベレストのすぐ隣にあるがゆえに目立たない存在であるギャチュンカンはしかし、美しい北壁を持っている。標高差2,000㍍。その壁に魅せられた登山家夫婦の、死と向き合った苦闘の1週間を描いた一編。
 著者は、ノンフィクションでもなくフィクションでもない手法でこの物語(あえて「物語」という)を仕上げる。例えば頂上を目前にしたシーン。

 「しかし、山野井に降りるという選択肢はなかった。
 山野井には登ったまま帰れなくなると知っていても登ってしまうだろう頂がある。
 たとえばマカルーの西壁のような(中略)困難な壁を登った果ての頂上なら、その一歩が死につながるとわかっていても登ってしまうかもしれない。なぜならそれが山野井にとっての『絶対の頂』であるからだ。(中略)
 ただ、頂を前にした自分には常に焦っているところがある、ということが山野井にはわかっていた。(中略)そこに確かな山があるとき、その山を登りたいという思いが自分を焦らせてしまうようなのだ」

 憔悴、葛藤、苦悩、あらゆる内面の動きを、沢木は冷静な視線と引用文の少ない淡々とした文章で浮き上がらせる。登山とは肉体の動きであるとともに精神の営みであることを思い知らされる。 そして頂を極める。「早く頂上にたどり着きたい。しかし、この甘美な時間が味わえるのなら、まだたどり着かなくてもいい」という文章で始まる頂上直下の場面以降は、この上なく美しい。山野井は「高みから自分を見ている」という「神の目」を得て、文字通り「甘美」でさえある。
 悪天候の中のクライムダウン。雪崩が襲う。標高7,500㍍、宙づりになったままのビバーク。死と直面しながらなお、断続的な雪崩をはるかに見て「崩れた雪が陽光にキラキラと美しく輝きながら氷河まで落ちていく」という感性。
 山野井は現在、世界最強の登山家の1人に上げられる。それはなぜか、が肉体の強靭さだけではないところで語られる。山を知るとともに「読む」ことの楽しみを間違いなく味わえる作品である。

 凍の写真.JPG

 沢木耕太郎著「凍」(新潮社)

 

 

 「凍」は2005年に新潮社から初版が出たが、その前年に山野井自身が著した「垂直の記憶 岩と雪の7章」(山と渓谷社刊)でもギャチュンカンの体験が語られている。読み比べても面白い。山野井を取り上げた著書としては「ソロ」(丸山直樹著、1998年山と渓谷社刊)がある。 


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