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山の図書館~草すべり(南木佳士著) [山の図書館・映画館]

 山の図書館~草すべり(南木佳士著)

 なぜ小説を書くのか。この問いに南木氏は自著で答えている。
 「(医者として)他者の死に立ち会う回数が増えてくるにつれて、人が死ぬ、というあまりにも冷徹な事実の重さに押しつぶされてしまいそうで、このつらい想いを身のうちに抱えては生きてゆけないと明確に意識し、自己開示の手段として小説を選んだ」(「からだのままに」)
 「医者の文章」というのがあるように思う。森?外は陸軍軍医総監にまでなった人なので少し趣が違うが、例えば安部公房、北杜夫。透徹した文章力の背後には諦観とも死生観ともいうべきものがあるような気がしてならないのだ。
 「草すべり」もまた、ある文章に対する筆者自身の言葉を借りれば「どこまでも明晰で澄みわたって」「書かれたものが身の奥にしみてくる実感」(「からだのままに」)が漂う。
 南木氏が山と出会ったのは、人生も復路に差し掛かった50歳のときだという。
 「誕生日に思いきって本格的な革製の登山靴を買った。不思議なことに、足慣らしに平地を歩いていると、登山靴そのものが山へ、山へと足を誘った」(同)

 こうして「草すべり」では、山での体験が四つの短編にまとめられた。

 山の図書館写真草すべり.JPG

 南木佳士著「草すべり」(文芸春秋社刊)

 

 そのうちの標題作。東京郊外の高校で2年間一緒だった沙絵ちゃんから40年ぶりに手紙をもらい、浅間山に登る。昔のことが思い出されて、とてもせつない気分が漂う。しかし、会話はぎこちない。

 マツムシソウだね。
 ミヤママツムシソウかな。

 55歳の男と女が無言のまま浅間山の上で弁当を食べている。
 だけど、沙絵ちゃんは昔の沙絵ちゃんではなかった。
 「沙絵ちゃんの身に何が起こっているのか知る権利はないが、この急激な体力の消耗の様は明らかに異常だった(略)それはいろんな病態を推測させた」
 別れ際、かすれ声で「まだ、もう少し歩いていたいよね」という沙絵ちゃんの言葉が胸に刺さる。声高ではない、あくまでも自然体の人生の詰まった小品である。 
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